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逆子

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有り難し有り難し 16

妊娠9ヶ月目に入り赤ちゃんが逆子です。
次回の検診で逆子が治ってなければ帝王切開の手術になります。

それは構わないのですが、問題は義父です。何しろ、自分の意見や考え方が一番正しいと思っており、変えることは一切ありません。今までもいろいろ罵声を浴びてきましたが、今回はもしも帝王切開での出産になれば、かなり言われる気がします。

「帝王切開なんてわけのんからん産み方をして、親として無責任すぎる。こどもは下から産むもんだ。腹なんか切らん。悪魔の子か?災難を持ち込む気か?疫病神か?」等々言われる気がします。

義父は坊さんとは言え、おそらく跡継ぎになる男子をこんなふうに産まれてくるのを不満に思いお見舞いの病室で大きな声で罵声を浴びせるでしょう。

言い方は解りませんが、想像できるし確実な話です。毎日不安で何もかも手付かずになり始めました。毎日不安すぎて、泣いてます。

今は想像上の話ですか、義父は必ずや暴言をはくでしょう。旦那にも話しましたが、考えすぎと言われましたが、不安です。

言われるのは旦那ではありません。私なんです。傷つくのもわたしなんです。

もしかしたら、産まれてから何かあるたびにあの子は帝王切開で生まれたから、おかしいんだといわれたり、帝王切開で生まれたからすぐ、ひっくり返って死ぬとか。

うまく育たないなど行ってくると思います。

本当に不安ですです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

嘘もなんとやら?

ウチのひとり息子(髙2)も逆子で、帝王切開で生まれてました。今まで、大きな病気もなければ、普通に生まれてきた子らと比べても元気すぎるくらい大きく育っています。

ちなみに帝王切開の確立ですが、一般病院においては23,3%だそうです。つまり4人に1人に近い確率なんですよ。出産後の入院期間が少し長いくらいで、何も特別変わったことでありません。

さて、お義父さんですが、この手のおっさん(失礼)て、何を言うても無駄です。なので、逆子であること、帝王切開での出産も知らせなくて良いのでは? と思いますが、そういうわけにはいきませんか?

出産後の入院が少し長いことには、少し難産だったので、大事を取って療養します~とかいろいろ理由づけできるとも思います。

ただ、まぁ、ウソをついてまでとお思いであれば、お医者さんから話していただいてはいかがですかね? 専門家に専門的に諭してもらう、言葉は悪いですが、言いくるめてもらえませんかねぇ?

しかし、お義父さんはお坊さんなんですか? それなら、奇跡に近い命のご縁をいただき、この世に生を受けることが、どれだけありがたいことかを知らないとは思えないのですが・・・。

母子ともに健やかなるご出産を祈念いたします。あまり思いつめず、落ち着いてご主人と、できればご両親やお義母さまとも話し合うことをお勧めすることくらいしかできませんが。

合掌

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有り難し
おきもち

真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いです。また、ボク自身も勉強させていただければと思っております。よろしくお願いします。

寺の嫁なんかになるな その子の世界一の母親となるべし

南無さんは立場で人と接しているのではないでしょうか。
寺嫁という言葉なんぞ今日から捨てることです。
どこの住職だろうが何だろうが、あなたの子供よりもあなたよりもエライなんてことはありません。
アナタはアナタ。
しっかり自分を生きればいい。
子供にケチをつけるなら全力でぶつかっていきなさい。
あなたの中でどこか義父には逆らってはいけないとか、あいてが僧侶だからとか、そういうものを認めているからいけない。梨園の妻だろうが、寺嫁だろうが、さしみのツマだろうが、絶対に自分の尊厳を見失ってはいけない。
あなたの存在は世界にたった一人、天地にたった一人です。
ただし、それはエゴであってはいけない。
命は平等です。
あなたも義父も同じ命だということです。
世界でたった一人の尊い子供の尊厳と自分の尊厳を認め、胸をはって生きることです。
小さな母親になってはいけません。
大きな母親になってください。
小さな母親とは、立場やら人の眼やら自分を中心としたものの見方に心乱れることです。
大きな母親とは、〇◎家とか、〇〇寺にも属さない。
大いなる命と大いなる命を互いに尊重し合える関係です。
あなたと義父は対等です。
何を言われようが、言われるその日まで勝手な妄想をしないことです。
本当に言われたら問題にすればいいことを、絶対にこういうに違いないと思って悩むことはあなたの一人相撲になってしまいます。それがおなかの赤ちゃんにも影響を及ぼす事にもなりますから、起きていないことは起きていない、と自分に言い聞かせ、眼を覚ますことです。
あなたの相談は、全部旦那にも見てもらうことがベストです。
ダンナに話せないことだらけ、不満だらけ、不安だらけというのはあまりよくありません。
何でも明かせる関係を作るためにも、こういうことを心配しているんだよ、ということでちゃんと旦那に見せてください。
隠し事があるうちは真の夫婦関係には至れません。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

義父はこれでもお坊さんです(笑)
本当にビックリしてしまいます。

義母も義父には逆らえず、本当に心苦しい限りです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ