結婚反対された時のお父様からの言葉が忘れられない
私には現在
今年で4年程お付き合いをしている彼がいるのですが、
交際当時から彼のご両親に交際を反対されていました。
理由は、
彼が会社の後継の立場である為、
私の高卒という学歴、
料理人になりたいとそれを仕事にしていた点
この2点がどうしても受け入れられないということでした。
交際半年の時に、彼は私に会えば、中身を知れば受け入れてくれるとご両親との食事会の場を設けてくださったのですが結果は変わらず。
そして先月、
結婚を真剣に考えているのでもう一度ご両親に会ってくれと言われ、お会いしました。
そこでお父様に言われたのは
君の生きてきた25年間はとても浅はかだね。
何故この時代60%以上が大学を卒業しているのにもかかわらず、一時の気の迷いで高卒で飲食を仕事としたのか、
ひとつひとつの行動が、軽率。
そんな娘にうちの息子の嫁は務まらないから認めない。
とはっきり言われてしまいました。
彼もその場で聞いていたので
反論はしてくれたのですが、聞く耳持たず、
ご両親を大切に思う気持ちもあるので、強く押す事も出来ないので、ご両親の気が変わるまで説得は続けるからもう少し待ってくれ。
と言われました。
確かに、もう2、3度お会いすれば認める…折れてくれる空気はありました。
彼はとても良い人です。
結婚したいと思える人です。
でも、お父様からの言葉が脳裏から片時も離れず、彼の顔を見るたび涙が流れるようになってしまいました。
悲しいのかもわかりません。
思い出すたび手足が震えます。
自分の甘さだとも感じます。
悩みは二点です。
1.このまま交際を続けて、ご両親の気持ちが変わるのを待つのは正しい選択なのでしょうか
2.お父様からの言葉が片時も離れないのは
かわいそうな自分という気分に浸っているだけなのは感じるのですが、気持ちの切り替えができません。
全ての決断が、あさはかだと言われているような気持ちになってしまい前を向けません
今の自分がわからなくなってしまいました
アドバイスを頂けたら嬉しいです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
さらりとかわせ
人にはそれぞれ育ってきた環境や置かれている立場によって、みんな考え方や価値観が違います。
だから、時には自分と考え方の違う者を責めることがあります。
その最たるものが「戦争」ですね。
お釈迦様もおさとりを得た後、大勢の人々がその言葉に感銘し弟子となりました。
やがてそれは教団と呼べるほどに大きくなるのですが、逆にそれを妬む者も現れ、非難されることもあったようです。
そんなお釈迦様の言葉
「沈黙している者も非難され、
多く語る者も非難され、
すこし語る者も非難される。
世に非難されない者はいない」
仏教では人の迷い(煩悩)の元として「三毒」を説きます。
「貪欲(どんよく)」
「瞋恚(しんに)」
「愚痴(ぐち)」
略して「貪(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」
これを三毒と呼んでいます。
「貪」はあらゆる「欲」のこと、「瞋」は「怒り」ですが、今回あめさんにお話ししたいのは「痴」のこと。
「痴」は「愚痴」のことですが、私たちの宗派ではこれを「おろかさ」と呼んでいます。
痴の字はやまいだれに知、ですが、要するに知が病んでいるということ。
平たく言えば「無知」「無理解」ということになります。
あめさんが心ない言葉をかけられて傷ついたのは、相手の無理解ゆえのこと。
だからこそ、相手を憎んではいけません。
相手も迷っておられるのです。
心ない言葉は、波風の如く聞き流し受け取らない。
風の音や波の音に腹を立てる人はありません。
どんなに「うるさいな」と思って怒ってみても、どうしようもないからです。
気に食わないこと、腹立つことを言われた時、それを、風の音や波の音を聞くように、 さらりと流すことができれば、それ以上、苦しむことはありません。
逆に、それを受け取って投げ返すと、相手はさらに強い勢いで投げてきます。 結局、お互いが傷つくのです。
あめさんが飲食関係のお仕事をなさっていたのでしたら、きっと理解していただけると思います。
そこからどうするかは、ご自分でよく見極めてお決めになって下さい。