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一人でいることは悪いことですか。

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私は昔から人と付き合うことが苦手です。というより恐怖を感じます。
仕事では何ともないのですがプライベートはなるべく一人でいたいです。

先日、母に「あなたは小さいころ父から虐待を受けていた」と告げられました。私が物心つく前だそうです。母は姉からその話を聞いたそうで、決まって母がいないときに虐待をしたそうです。

父は普段はあまり私たちには関わらなかったのですが、怒ったときは顔が腫れ上がるくらい手をあげました。それにその時の怒声はすさまじく、今思い出しても震えるくらいです。辛辣なことも言われました。

今思えば物心つくころから私は父を避けていましたし、怒られないようにと感情を押し殺し良い子を演じていたように思います。

そのせいかわかりませんが、私は人と付き合うのを怖く感じます。
良くも悪くも人に縛られたり、傷つけられるのは嫌なのです。

自然の中にいたり、動物と接しているときはとても平穏で落ち着きます。
私にとって、他人と暮らすことは恐怖としか思えません。

三つ子の魂百までといいますが、私は一人でいるほうが心穏やかに過ごせるのです。結婚に対して、羨ましさや焦りを感じたことは一度もありません。

親や親戚は結婚の話題を出しますが、私は結婚はしたくありません。
一人でいることは悪いことでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間的支配や要求が無い人と一緒になればイイ

あなたは多分、ここに書き込んでくださるという事は、それほど人間嫌いというわけではありません。もっと人間嫌いな人はテロとか犯罪者レベルにすらなってしまいます。
私も一緒に居て苦手な人がいます。
それは「わたくし濃度」が濃い人です。
自分自分、常に自分ルール、自分ルールな人です。(結構いますよね)
だから僧侶の世界の集いは、僧団、サンガといって、我をなくして、悟りや安らぎを求める集まりなのです。だから安心して気楽に過ごせます。
たまーに、そういう僧侶の世界でも、自分自分したルールを持ち込む不届きな輩もいますが。
まぁ、ホットケさまで深く関わらないようにしています。

良寛さんは
「世の中に交わらぬとにはあらねども 一人遊びぞ われはまされる」と言っています。
一人こそサイコ―です。
出家者は、究極の一人を愉しんでいます。
結婚しても、出家者は相手を自分化、ワタクシ化、オレオレ化しないので、お互いに支配されることがありません。
むしろ真の結婚とはそういうものです。
どうぞ、もう一度人間関係を見直してみてください。
我の無い関係。自我、エゴの影響のない関係であればあなたも苦しくないはずです。
お互いの尊厳を尊重し合える人間関係。
ライトで、あたたかで優劣勝敗の無い人間関係だってこの世には沢山ありますよ。(^<^)

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

悪くないですよ

日本人は農耕民族だから、共同作業が多く、それゆえ、人付き合いを大事なものとして、、、なんて聞くとイヤになりますね。日本人が世界に誇れるものは、今も昔も、モノづくりで、それらはかつてみんな家にこもって一人でやっていたものです。ですので、一人で生きていくことはなんら悪いことではありません。

ただ、ノリさんが、小さい頃の虐待を今でも引きずっておられることが気になりました。人に縛られたくない、傷つきたくない、どちらも当然です。であるならば、過去に縛られず、傷つけられ続けている現在と、どこかで折り合いをみつけるべきだとは思いませんか。そのためには、自分以外の人と交流することも、非常に有効な手段の一つです。

ノリさんには、ぜひ、虐待の過去と決着をつけてほしいと私は思います。

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個別相談可能
住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、お祭りなどのイベントに出演中です。 ◆大道芸人プリンコちゃんホームページ http://princo.fc2web.com/ 真言宗豊山派総合研究院 布教研究所常勤研究員 常任布教師 仏教伝道教材の「なむなむ」代表 流山市青少年環境浄化事業推進委員会 環境部会長 流山市青少年指導センター補導員 連絡協議会副会長 保護司(柏地区流山支部) 柏マジッククラブ会員 日本ジャグリング協会会員 流山ジャグリングクラブ顧問 日本ツイストバルーン協会会員 ◆PRINCOちゃんねる(法話動画など) https://www.youtube.com/channel/UC4gxIC4-oeR4ns3FpNr8vqA?view_as=subscriber
ただし、午前6時~午前0時まででお願いします

質問者からのお礼

ありがとうございます。

すぐには難しいと思いますので、少しずつ気持ちの整理をつけながら人間関係を考えてみたいと思います。

増田様ありがとうございます。
確かに今は過去に縛られている状態かもしれませんね。過去からも解き放されるよう少しずつ人に接していきたいと思います。

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