死後
私には大切な物があります。
それは、長年愛用しているぬいぐるみと大好きな本、それから数年前に亡くなったペットの写真です。絶対に手放したくない程、大切な物です。
幼い頃からの疑問なのですが、死後の世界があったとして、一緒に火葬してもらったらあの世に持っていけるものなのでしょうか。
本当に手放したくないので死にたくても死ねません。
他人が怖い。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
永遠に手元に置けないが、永遠にあなたの毎日を彩ってくれます
どんなに栄耀栄華を極めた人物と言えども、財産や名誉を来世まで持って行くことは出来ません。でも、悪足掻きをしてしまう人も多いですね。歴史上の人物で言えば、藤原道長や豊臣秀吉あたりがこれに該当しそうですね。秀吉は大河ドラマで、朝鮮出兵、秀頼誕生、五大老への委嘱状などなど描かれていますので、理解しやすいと思います。藤原道長については、こちらのサイトをご参照下さい。
http://rakutyuurakugai.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_9083.html
道長については、検索すれば、結構な数の研究成果や論考があると思います。
曹洞宗でよくお唱えする経典の一つに『修証義』があります。この修証義の第一章に「 無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし、熟観ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに到るときは国王大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり、己れに随い行くは只是れ善悪業等のみなり。」とあります。
今まで自分が大切にしてきたものであっても、いつかは別離の時がやってきます。その別離から逃れたい、ずうっと手元に置いておきたい。人の情として極めて自然のことです。誰もが多かれ少なかれ榎戸さんのような気持になります。
でもね、どんなに心の底から願っても、叶えられることもあれば、叶えられないこともあるんです。今の状況を永遠に持続させることは不可能です。諸行無常なるが故に、今の状況は必ず変化していきます。永遠に続くものでは無いからこそ、「今と言う時」「今と言う状況」を大切にしましょう。死後の世界まで、榎戸さんの持ち物を持って行くことは出来ません。しかし、大好きなペット、大好きなぬいぐるみ、大好きな本、これらの思い出はあなたの人生の宝ものであり、素晴らしい思い出として来世においても榎戸さんの毎日を支えていく大きな糧となりますよ。
手放したく無くても、残念ながら手放さざるを得ないと思います。しかし、素晴らしい時を共に過ごしたという思い出は永遠に受け継がれ、榎戸さんの死後においても榎戸さんの毎日を綺麗に彩ってくれると思います。
見えないケドあるもの
ある仏教者の言葉に
「死んだらすべて手放すんだよ。お金も友達も、自分の肉体すらも」
…こんなこと聞いたら、死について考えてしまって怖くなるでしょうか(^^;)
今、周りにいる誰しもが「死ぬこと」だけは経験していません。
ですから死後の世界もあの世に持っていけるものなのかも、断定して回答ができません。
ですが、あなたがぬいぐるみに手向けた愛情、大好きな本から得た想い、亡くなったペットに捧げた温かい供養は、永劫に残ると私は思いますよ。
見えてるものだけ、ついつい大事にしてしまいますが
目に見えないもののほうに実は大切なものがあります。
例えば空気。例えば友情。例えば愛情。
携帯の電波も、見えないけどナイと困りますよね。
手放すことは怖いかもしれません。
でも、手放したあとに残る見えない大切な何かもあるんですよ。
「星とたんぽぽ」って詩を紹介します。
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきにだァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ
質問者からのお礼
日顕様、吉田俊英様
回答していただき有難うございます。
ぬいぐるみも、本も、ペットの写真も、私が辛い時や寂しい時に心の隙間を埋めてくれるので、それをいつか手放さなければいけない時がくるのは、とても寂しく思います。だからこそ、私を癒してくれた思い出を大切にしようと思います。