辛いです。
おかしくなりそうです。
八方塞がりです。辛いです。
学校の人間誰も信用できません。
仲良い子もできません。利用されるような気分です。
他人と自分を比べてしまう。 他の人は上手くやれるのになぜ自分は上手くやれないのかと落ち込む。 八方塞がりだと感じてしまう。 現実から逃げたくなったり、やるべきことが出来ない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他者は基本的に信用できません
おっしゃるとおり、他者は基本的に信用できません。
学校の誰も、と書いてありますから先生もそうなのでしょう。先生が信用できる人たちなら毎日のように先生の不祥事が発覚することはないでしょう。まして同級生はなおさらである、というこおとですね。大平光代さんも親友だと思っていた同級生に裏切られ、切腹自殺を試みておられますし。
私も今日、何人ものお坊さんに会いましたが、みな信用できそうにない人たちでした。口ではお念仏となえていても、お腹のなかでは「カネがほしい」としか考えていない坊さんは多いです。
だから、いま思っておられるのが正しいものの見方で、おっしゃるとおりなのが人間関係なのだと思います。
では、世の中にはそんなどうしようもない人間しかいないのかというと、それも違います。本当に優しい人や、暖かい心の持ち主もたしかにいらっしゃいます。そう捨てたものでもないのがこの世であるともいえます。
そんな立派な人たちは、しかし、必ずしも幸せな子供時代、青年時代を過ごしてきた人たちばかりではありません。大平光代さんのように辛い、酷い少女時代を送って来た人もいます。そういう境遇にあって、よい人間性を磨いてきた人たちが尊敬される人たちなのでしょう。
そこで、どうでしょう。周りの人が信じられないなら、あなたが他者から信頼される人になってみる、そうは考えられませんかね。
並大抵のことではありませんが、光がないなら自分が光ればよい。その光によって周りの人を明るくすることができる。自分で光れなくても、世の中には(学校にはいなくても)たしかに光っている人がいるのだから、そういう人を見つけてその人の近くにいればあなたも光ることができるはずです。
学校の中やいまあなたを取り巻いている人間関係だけがすべてではないはずです。視界を広く持つことだと思います。
そこでは割り切ってしまいましょう
拝読させて頂きました。
学校では良い人間関係は作れないのですね。
学校に行っても孤独を感じて辛い思いをなさっておられるのですね。
あなたのお気持ちを心からお察し申し上げます。
今あなたは専門課程を学んでいらっしゃるのでしょうから明確な目的を持って通っておられることでしょう。
ですから学校ではその学ぶことを主体として無理やりに人間関係を作ることは止めて線引きしても良いのではないでしょうか。そこでの交流も必要な時もあるでしょうが、絶対必要な事ではないでしょう。
今そこでは割り切ってしまい、また新たな出会いの中で関係を広めていく事でも問題ありあません。
或は勉強と遊びとをメリハリ付けることも、そこでも交流関係を割り切るのも良いと思います。
これから社会に出て仕事を持つ中でも素晴らしい出会いがあなたに訪れることも必ずあるでしょうし、趣味や遊びのサークルのようなものでも新たな出会いが訪れます。
ここの場でもあなたは既に私達とも交流をはかっています。
ですからあせる必要もありませんし、追い込まれることもありません。
あなたがこれからの未来素敵な出会いに恵まれて皆さんと心から豊かに生きていかれ、素晴らしい人格を形成していかれます様心から祈っています。
またいつでもここであなたのお話し伺いたいと思っています。どうか宜しくお願いいたします。