周りに優しくできる人の心を知りたい
初めまして。
私はとても人に恵まれています。
順境の時には心から喜んでくれたり、お祝いをしていただいたり。
逆境の時にも力になってくれたり、声をかけてくれたり。
物も気持ちもいつもたくさん頂きます。それも大勢の人からです。
お返しをしても到底返しきれないのです。
ただ自分自身、これだけしてもらえるような人間でもなく、未熟な人間なのです。
時にしてもらったことに対して、ありがとうより申し訳ない気持ちが湧くこともあります。
綺麗な心になりたいと願うけれど汚い心や煩悩がたくさんあります。
優しくしてもらうたび、
「なぜこの人はこんなに優しい気持ちが持てるのだろう?」
といつも思います。
その人の性質なのか、人と関わったり悩んだりきっかけがあってそうなったのか。
お坊さんはどう思いますか?
いずれは私も、心の底から人に優しくできる人になりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは、貴女がやさしいから。。。
さぁちゃん さんが、想いやり深く、優しい女性だから、素敵な方が集まってくるのです。
そして、人は人との関わり合いで、磨き合い 高めあうのです。
だから、自分自身の事が良く観えるのです。
そして、周りの方を幸せにしていく。
貴女には、そのちからがあります
貴女なら、大丈夫です
自分の精一杯であれば。
こんばんは。自分から見た自己評価と、他者からの評価はズレていて普通のようです。そして、自分の心のパターンはよく見えても、人様のそれは「手に取るようには」見えません。
hasunohaには「有り難し」というボタンがありますが、この言葉、そもそも「滅多に有る事ではない」という意味なのです。万が一貴女が「ありがとうと感謝するのが面倒」な人であれば話は別ですが、貴女はご自身が気付いた時に、できる範囲で「何かして差し上げる」ことができれば充分だと思います。
また、「お返し」というのは往復だけではないのです。「過去、誰かにして頂いた」ことを、貴女が誰か別の人に「返す」こともできるのです。後輩として奢ってもらい、先輩になったら奢るとかのイメージです。
貴女が「心が綺麗な人」と思っている方でも、悩みや苦しみがゼロである、とは思いません。「汚い心や煩悩」は、誰しも持っている。その上で「他人に何かする」のですから「有り難い」のです。
貴女の心を取り出して、ザブザブ洗うことはできません。そもそも取り出すこともできません。
自分のできる精一杯のことをする。それを超えることは「申し訳ない」と思いつつ諦める。それでよろしいと思いますよ。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
長谷雄蓮華様。
自分自身のことはなかなかよく思えないものですが。。自分自身の力を信じて、これからもっと磨き・高めていこうと思います。貴方なら大丈夫との言葉に、心が安らぎました。
ありがとうございました。
佐藤良文様。
【「汚い心や煩悩」は、誰しも持っている。その上で「他人に何かする」のですから「有り難い」のです】
この言葉に、はっとしました。
今のこの、私の心のままで、できることを周りにしていこうと思います。
ありがとうございました。