お墓について
親のお墓について質問させていただきます。
7年前、父が亡くなりました。父が病気になる少し前に、土建業を営んでいた父の会社の資金繰りがうまくいかず、自己破産せざるを得なくなり、何もわからないという両親にかわり、弁護士等の交渉や手続きを私と私の主人でおこないました。結果的に自己破産が完了する前に父は亡くなりました。そんな中、両親がなんの相談もなく、墓石屋に勤める母の妹のすすめでお墓を購入していました。そのお墓は母の実家の近くの公営墓地で墓地の名義は母の兄となっていました。当時、自己破産の手続きの最中で、自分達では購入できないため、兄の名義としたようです(今現在は兄は亡くなり、兄の息子名義になっています)。
私は一人娘で、娘がいますが、そのお墓に入る予定の者は母以外いません。母の兄の息子名義ですが、管理料は7年ごとに母が支払いをしているようです。母亡き後、私が生きてできる限りはその管理料の支払いをするつもりでいますが、私の娘にまでそのような負担を強いることはできません。
母の兄の息子名義であること、管理料を支払わなければならないこと、私の住む場所から少し遠いことから、母の元気なうちに2人用の簡易的な墓への移転を提案しました。父が生前気に入って買った墓なのに親不孝だというようなことを親戚から言われました。母は名義の変更(本来その名義人が亡くなったときしかできない)は親戚の人に頼んでするし(いつになるかわかりません)、移転するようなお金はないといいます。
母や母方の親戚とは考えがあわず、私は父が亡くなって以降、距離を置いています。母も76歳なのでもしなにかあった場合、手続きの面で親戚と関わらなければならず、名義が親でないことがすごく不安に思っています。
父が生前見て購入したお墓であるので、守ってあげたい気持ちもありますが、後先考えず、勝手に購入し、次世代に負担を強いる考えがあまり理解できません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母さんにとって、どのような気持ちで死を迎えるか、来世浄土を望むか、そういうことが経済的な負担よりもずっと大切なのではないでしょうか。
もしそう思うのなら、お母さんが生きている間はお母さんとお父さんの望むようにさせてあげてはどうでしょうか。
お母さんがこの世を旅立った後は、あなたやあなたの子の好きなようにされたらいいと思います。
経済的に負担が大きければ、管理料を払わないという選択肢もあります。その場合はご遺骨が合祀墓に移されて、墓地は更地になりますが、合祀墓にお墓参りに行くことはできます。
浄土に往生することは決定されたことですから、お墓が個人のお墓であっても合祀墓であっても構わないのです。
ただし、合祀墓に移すと後から個別に取り出せませんのでご注意ください。
なにより大切な事は、家族や親戚で助け合うことです。それが一番の供養だと思いますよ。
南無阿弥陀仏
そこ(お墓)に仏教魂(こころ)があるかないか
多くの人はお墓を人の骨をおさめる箱のようなものであると考えておられます。
お墓をもって故人を敬い、供養をする。
そういうことは仏教ではなく、神道さんでもキリスト教でも新興宗教でも無宗教でもやるものです。
それでは仏教でも何でもないと思いませんか。
では、仏教として「お墓」とは何か。
お墓とはなにをするものであり、どういうものであるのでしょう。
本来は「仏舎利塔」がルーツです。
お墓、仏舎利塔とはただの箱ではなく、それを拝む方々が世の中に善玉菌を広める「菩提心」の塔なのです。
平たく言えば「供養塔を兼ねた善玉菌を世に広める誓願の塔」なのです。
日本人の仏教者にはその意識が少ないと思います。
世の中をよくしようという宗教心がなく、ただ単に自分の家の骨をおさめる供養塔という程度にしか思っていないことこそがお墓をお墓ではなくしている最大の悲しさであるように思います。
正直なところ、霊園業者には仏教心や菩提心はあるでしょうか。
実質が供養ビジネスの一環としてやっていることであって、そこに仏教的精神がなければ仏教のようなものであるようでも、似て非なるもの。
仏教精神そのものをこわしてしまうのです。
だからと言ってお寺でお墓を持てばよいということでもないと私は思います。
仏教行事であるのに、仏教心も宗教心も無くなった供養は死んでいます。
昨今、供養ビジネスが横行して日本仏教も仏教精神が破壊されてしまったという大きな弊害をこうむっています。
商業ベースに流されず、高額な管理料を要求してくる業者やお寺では結果的に生活に負担がかかるばかりです。本来守るべきはあなた方の生活や幸せであるはずです。そのための個人を敬い、仏教的精神のシンボルであるのがお墓というものです。
あくまでもお墓を持つということは仏教精神を各家庭で護持することであり、自分たちの事ばかりではなく、周りの人も心の苦しみを刺抜きする精神でもつべきものであるということを念頭においていただけることで、おのずからなすべき道がはっきりと見えてくると思います。
お金よりも生活。生きていくこと。ただ生きていくことより、人間性を大事にしたいと思う生き方。それが縁のある人たちとのかかわりが良い形で見いだされる供養塔というものです。
生活が大変であれば今の形を変えてお寺で手の届く形でご供養をお願いするとよいと思います。