母親の存在
母親の存在が、重くて仕方ない時があります。
同居しているため、毎日顔を合わせます。
足音が怖い。
何か怒ってはいないかと、いつも顔色をうかがってしまいます。
近々、友人から結婚報告を受けます。
それを母親に話せば、どう思われるか、考えたくもありません。
皆将来のことちゃんと考えてる。
あなたはまだなの?何してるの?
もっとちゃんとしないと。
言われる言葉を想像しただけで、消えてしまいたくなる。
無言でじとっと見られでもすれば、死んでしまいたくなる。
私の同級生は、ほとんど結婚し、子供もいます。未婚の子でも、結婚を前提に付き合っている彼氏がいます。
恋愛経験がない私のような人間の方が、珍しいのです。
どうしても他人を好きになれない。
誰かと恋をして、結婚して、家族になっていく自分の姿なんて想像できない。
私はきっと母親にはなれない。
子供を持つことも、授かることもないと思います。
だけどそれでは責められて、がっかりさせてしまう。悲しませてしまうし、惨めにさせてしまう。
いい歳をして、何を馬鹿なことを言っているのかと思われるでしょう。
でももう、重たくて仕方ないんです。
明日私は、目なんか覚めなくていいし、事故か何かで死ぬのならそれでいい。
女らしさを求められるのも、年相応な生活を望まれるのも辛い。
どう生きれば、母親は私を認めてくれるのでしょうか。
いい大人なのに、子供でいないといけない?
体だけが歳をとって、心が追い付かない。
もう責めないで欲しい。許して欲しい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたはお母さんの所有物ではない
あなたはお母さんの所有物ではありません。
お母さんの期待どおりに生きなくてもかまわないのですよ。
1人の人間として、自由に生きて良いのです。
仏教では、執着は悩み苦しみの原因だと考えます。
悩み苦しみの原因になるような執着は、手放した方が善いのです。
つまり、お母さんがあなたに対して抱いている執着は、お母さん自身の問題なのです。
お母さんが怒っている(苦しんでいる)のは、お母さん自身の執着が原因です。
人間、どうせできることしかできないんだから、あなたも、できることをできる範囲でやればそれでOK合格人生だ、と思ってください。
あなたはあなたとして生きる
あなたは人の心を想像してしまう癖があるでしょう。先に先に勝手に決めつけ自らを追い込む癖が。
お母さんが見ている。それだけ、ただ見ているような様子があるだけなのに、そこに意味を付け加えるのはあなた自身です。
結婚のことで言われてもないのに、言われたらどうしようと、先に先に想像している。
ここに相談するにも、先に答えを用意していませんか?
お母さんにどう思われようとあなたの人生。あなたはお母さんにとったらいつまでも子供。私の師匠は70代ですが90を過ぎるおばあちゃんからすると、いつまでたっても子供なんです。
あなたはあなたとして堂々と生きたらいい。お母さんのためではなく、自分のために。結婚は人生の全てではないですから、興味がないならしなければいい。お母さんも結局あなたが健康で幸せに生きてくれることが一番なんだから。堂々と生きましょう。
そして、家を出ることも一つだと思いますよ。一人で暮らすことで、楽になることもあります。
やりたいように生きてみたらどうですか。
質問者からのお礼
願誉浄史様
お言葉をありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
自由に生きるというのも、難しいものですね。
確かに私は、誰の所有物でもありません。
ただ、期待されているのなら、何かを望まれているのならそれに応えなければと、どうしても思ってしまうのです。
邦元様
お言葉をありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
実際にあれこれと言われた経験があるため、また言われるのではと不安になるのです。
何事も、好きなようにやりたいです。
それなのに、誰かからの何気ない一言にずっと振り回されています。自分でも、どうしようもない人間だと思います。
さ