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自分自身が嫌いです。

回答数回答 2
有り難し有り難し 16

私は、言い方がきついとみんなに言われますが、どのように直したら良いかわかりません。
頭にくると、汚ない言葉ばかり出てしまいます。
特に父親には、汚ない言葉ばかり出てしまいます。
私も直したくてもなかなか直せなかった事です(T_T)


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

家庭からの出家

家族というものは遠慮がありません。
出家という言葉にも家という字がつくでしょう。
人間のわがままし放題の象徴的な言葉こそが「家」なのです。
公の場では済ましていても、家の中では豹変するという事もあるでしょう。
だからこそ、あなたはの場合は家から出家するべきです。
頭を丸めろという事ではありません。
相手に対する、尊重、敬意、尊厳を認めることです。
いくら威張っても育ててもらったことには変わりありません。
いっぱい不満だってあるでしょうが、それもあなたの親に対する求めというもの。
自分の求めや期待やマイルールの押しつけなのです。
それが事前設定としてあることがあなたの最大の甘えです。
家族だったらこうしてくれて当然じゃないか、こうしてほしい、という事が知らずしらずの内に全面的に出てしまっているのです。
それを、やめてみましょう。
期待、求め、マイルールをなくす。
家族、家庭でありながらも、携帯をマナーモードにするように過ごしてみてください。
言葉こそ丁寧語、敬語にするまでとは言いませんが、態度は冷静にするべきです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

嫌な思いの原因は自分にある

お父様に対し汚い言葉を吐いてしまうとのことですが、多分お父様に対するこうであってほしいと願うあなたの思いや、あなた自身の甘えがそうさせているのではないでしょうか。

あなたのそうした思い越しに相手を見ないことが大切です。思いや願いごしに、見ると苦しむのは自分自身です。そのまんまをただ見ること、受け入れることが大切です。

家族だからこそ、ご自分を押し付けやすくなっていると思います。
私の勝手な想像ですので、ずれているかもしれませんが、間違えなく言えることは、苦しみの原因は間違えなく苦しんでいる本人にあります。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます、
甘やかされてきましたが、時には手をあげられたこともあります、
あの痛みがあったからこそ、口から悪い言葉ばかり出てしまいます。
優しい人間になりたいです。

お返事ありがとうございます
私も早く結婚して出ていきたいですが、借金があり、なかなか出られません、
何とか早く返したいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ