受験とか
大学受験を控えています。私は高校受験が失敗したのでもう失敗したくありません。一緒に頑張ろうと行っていた友達は指定校で受かりました。裏切られたなあと感じました。沢山お金も払っているので第一志望に落ちたら親不孝ものです。これから幸せに生きていくためには頑張らなくちゃいけないのに頑張れない自分が腹立たしいです。
最近何故か、包丁を見るととても不安になります。この包丁を掴んで私が人を殺してしまったらどうしようかととても不安になります。ネットで精神系疾患の自己診断をしたら毎回中程度という診断が出ます。これからさき精神も狂っているわたしがまっとうに生きていけるのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生最高の学びは自己を学ぶこと
静岡でしたら掛川の少林寺の井上貫道老師の坐禅会か浜松の井上哲玄・哲宗両老師の坐禅会にご参加されることをお勧めします。
坐禅会とは坐禅をする会ではなく、この自分自身を明らかにする場です。
人間は誰もが自分でありながら、この自分というものをよく知らないから迷うのです。
学校でも、この自分というものを教えてくれる授業がない。
自分を教えてくれる唯一の道が仏教、仏道、禅です。
人間は誰もが初めてこの世界に、人間としてこの体、この命をもって生まれてきました。
夢のないことを申し上げますが前世や前前前世があるならば、もっと器用な生き方がプリセットされていてもおかしくないはずです。でも全然前世も前前前世もないので、この命は生まれてくる時に「はつもの」として、この世に生まれ出てくるのです。回転ずしのイクラがどれも同じように見えても、それぞれのイクラの生命が一粒ごとに全宇宙に一粒だけしか存在しないのです。マモナクイクラガトウチャクシマス♪
誰もがこの世にこの体を命としてはじめて生まれてきました。
今後もこの命とともに歩んでいくのです。
だからこそ、この自己を明らかにすることは最優先課題です。
私は学ぶのが遅かったので、もっと早くに学んでおけば今よりもっと世の中のお役に立てる人間になれていただろうになぁとポンコツアタマの自分を後悔しています。
私は禅の道場で10年修行してきました。修行道場は指導者にも当たりハズレがあります。いい指導者に巡り合えないと何を学ぶにしても、空振りすることがあります。
私は皆さんに私と同じような空振りライフを歩んでほしくないのです。
両老師は曹洞宗でも禅僧の指導者(師家)であられます。
ただのお師家さんではなく、禅の悟りを明らかにされた曹洞宗でも数少ない明眼の老師です。
数多く存在する僧侶の中でも導く先があやふやな僧侶の下で禅を学ぶより、導く先が明確な明眼の指導者の下で修行しなければ人生を棒に振ります。
人生は長いです。
なぜ禅や仏教を学ぶ必要があるのでしょうか。
禅や仏教を学ぶということは自己を学び明らかにすることだからです。
自分が明らかでないと何かが起こる度に心がざわつくものです。
今後も自分のこころと上手に付き合っていかなければなりません。
これをご一読いただいて関心をお持ちになられた方はぜひ、参禅をして自分自身を明らかにされる道を歩まれますことを。
常識や「ねばならない」に振り回されないで
受験が全てではないですよ。人生、高校に行かなければならないわけでもないです。高校に合格すること=幸せ、かどうかはわかりません。大切なことはあなたが高校で何がしたいかということです。
友達は友達。あなたはあなた。あなたの人生です。親にとって一番の幸せは子供の充実感のある喜び、笑顔です。あなたがやりたいことがあるならそれに向かって頑張ればいい。なんだか気持ちが乗らないなら、受験する意味、高校で何をするのかをもう一度見つめ直すことも必要なのではないでしょうか。
包丁は包丁ただの包丁です。そこから妄想を膨らませ、現実から離れふわふわと妄想の世界を生きるのではなく、地に足つけるのです。今あなたが生きているココをしっかり生きてください。
質問者からのお礼
お二方ともありがとうございました。無事に受験を終えて、第一志望に合格いたしました。お礼が遅くなり大変申し訳ございませんでした。お二人に溢れんばかりの幸福がありますよう祈っております。