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お坊さんになるにはどうすればいいですか

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有り難し有り難し 46

今高校生なのですが、天台宗のお坊さんになりたいです。
どのようにしてお坊さんになることができるのですか?
仏教系の大学に行くべきなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

坊さんという形にこだわるより僧侶以上の徳を持つ

カタチだけ坊さんは沢山見てきましたが、痛い人は多いです。
私もまだまだです。
宗派問わず、僧侶、坊さんになるということは、スンゲー冷静に考えてみてください。
どっかの宗派に所属してポクポク坊さんぽいことをやることではニャイのです。
これは実際に修行道場に行ってみると多くの人は洗脳されてしまいますが、本人の中のブレない方向性、軸をしっかり持っている必要があると感じています。
日本のお坊さんの大半はお寺を守る坊さんです。
ですが、もっと大切なのは仏法を守る、仏法を明らかにする、仏法を広めて抜苦与楽するお坊さんが大事なんじゃないかと思います。
お釈迦様をみならって、何の宗派もなしに裸一貫で、人間の思考思慮分別妄想我執から自由になって自身の本来の様子、本来性を明らかにすること。悟りということをきちんと明らかにすることが坊さんになるコスプレ僧侶になるかの分かれ道だと思います。
これはご参考までに、ということで。
頑張ってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

いろいろな話を伺ってくださいね

拝読させて頂きました。
お坊さんになるには先ずは師僧を見つけなければなりません。
菩提寺様がその宗門であるならば一度ご相談なさってみてはいかがでしょうか?
様々な仏教系の大学や学校がありますのでその中で進学して学ぶも手段ですが、いずれにせよ各宗門の本山等へ修行に行かなくてはなりません。
様々な方からお話を聴いてご検討なさってみてくださいね。
このhasunohaでは様々なお坊様がいらっしゃいますからせっかくですからいろいろお話を聴いてみて参考にしてじっくりとご判断なさってくださいね。
あなたが仏教を学ばれて立派なお坊さんになられることを心からお祈り申し上げます。
そしてあなたを応援させて頂きます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

お坊さんは職業ではなく、生き方です。

ご相談読ませて頂きました。
天台宗のお坊さんになりたいとのこと、一人の天台僧として有り難く思います。

しかしまずはやはり、僧侶として生きていくということは、少なからず覚悟の要ることでもあります。
坊主丸儲けなんて言葉もありますが、生活の為の生業ではなく、生き方として僧侶という道を選ぶというのはどういうことなのか、勉強をしながら少しずつ考えていただければと思います。
生き方として仏道を歩むということなら、お坊さんという立場にならずともできることはあります。

さて、正式に天台宗の僧侶になりたいということならば、やはりお師匠さんを探さなければなりません。
そういった点では、仏教系の大学であれば、縦にも横にも人脈ができるかもしれませんね。
しかし私の行った大学では、授業で衣を着たりお経を唱えたりもしました。宗門の学生として授業を受けたいのであれば、やはり進学前に菩提寺さんなりなんなりに相談し、師匠について得度くらいしてからの方がいい気もします。

天台宗の何に興味を持っていただいたのかはわかりませんが、比叡山は日本仏教の多くの祖師が学んだ場でもあります。幅広く学べるので、入口としてもお勧めです。
今は仏教書や解説書も色々出てますから、師匠を探しつつ学びも進めてみてください。

一つ注意していただきたいのは、解説書だと著者の立場によって読みとり方が変わる場合があるということです。
例えば『法華経』の解説書であっても、天台宗の人が書いたものと日蓮宗の人が書いたものでは理解の仕方が違ってきます。
あるいは、宗教学者が書いたものと僧侶が書いたものでも、やはり考え方の違う部分が出てくるでしょう。
どちらが正しいということではなく、立ち位置の問題ですけど。例えば文献学的に言えば「大乗仏典」というだけでツッコミ要素満載ですが、信仰で言えばそういうことじゃない。

学びの上では、できれば解説書だけじゃなく漢訳仏典にあたって自分のまっさらな頭で読んでもらって、天台学をやりたいなら天台の教授やお坊さんが書いたものを見てもらえたらと。
法華経や浄土経典は岩波文庫で出ていたかと思います。
天台に限らず幅広くやるなら、東京書籍の『現代語訳大乗仏典』シリーズも読みやすいですよ。
ネット上では好き勝手な解釈も中にはあるので、書籍から入っていただきたいです。
そして疑問があれば、ここで遠慮無くどうぞ。

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有り難し
おきもち

天台宗寺院の住職をしております。 占い師さんや西洋思想の方面にも知り合いがいたり、他宗教の集まりにも顔を出したりと、あくまでも天台僧としての軸はそのままに、幅広く学んでいます。 そういった点から、少し違った目線でのお話もさせていただけるのではないかと思っております。 どうぞよろしくお願いいたします。

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