母が亡くなったときの弟嫁の態度が許せず、黒い感情が出てきます
一年前に母が60才で亡くなりました。
当時、妊娠していた弟嫁は、その事に浮かれていたのか、まだ安定期でもないのに、葬儀に集まった親戚などに、自分の妊娠のことをわざわざ報告していました。
母がなくなる寸前にも、妊娠の事をうちの母に伝えたいから病室に会いに行きたい、と言ってきており、母の体を気遣うのではなく、自分のお祝い事が優先?と感じ、非常識だと思えました。
弟嫁からは、母が亡くなることに対する哀悼の気持ちが全く感じられず、すごく嫌な気持ちになりました。
今でもこのことを思い出すと腹が立ち、嫌な感情になってしまいます。
最愛の人を亡くす悲しみを味わうため、弟が死んでくれたら、、とすら思ってしまう自分もいます。
どうしたらいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母さんは孫の誕生を喜ぶはず。喜無量心を。
私の母は五十代初めに亡くなりました。
ガンです。
私が就職してまもない頃です。
当時の私は独身でした。
現在、私は結婚し、子供にも恵まれています。
実は、母が亡くなる時には、すでに現在の妻とつきあっていました。
時々思います。
病室に彼女(現在の嫁)を連れて行っていたら、もしかしたら、私の結婚姿を見るために、母は活力が沸いて、もっと長生きしたのではないか?
さらには、もしあのとき、嫁が妊娠していて、(実際は妊娠してませんでした)、母に病室で「もうすぐ孫の顔が見られるから頑張って」と言っていたら、母は孫の顔を見たさにもっと長生きしたのではないか?
と。
私の単なる妄想であり、実際は、当時は婚約してたわけでもない彼女をまだ家族に会わせるつもりはなかったのですが。
弟嫁さんがどのような気持ちでそのような言動をされたのかはわかりませんが、
孫が生まれるという報告はお母さんも喜んでおられるのではないか、と思います。
是非あなたは、お母さんの分まで喜んであげてください。
ちなみに、仏教では、慈・悲・喜・捨の4つの心を無量に(はかり知れないくらい大きく)育てなさいと説きます。
四無量心と呼ばれます。
このうち、喜無量心とは、他人の幸せや成功を喜ぶ気持ちです。
捨無量心とは、こだわりを捨てた静かで落ち着いた気持ちです。
是非、弟嫁さんへの怒りを「捨」て、妊娠を「喜」んでください。
そうすれば、あなたの人生のストレスが減ります。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
確かに妊娠は喜ばしいことですが、すでに弟からそのことは母に伝えられていましたし、わざわざ意識のない母に、弟嫁が言いにこなくても母は知っていたことでした。
私にとって大好きな母が亡くなるのは、とても辛い出来事でしたので、もう少し、母の体を気遣うとか、(せめて浮かれた態度を見せないとか)悲しみの気持ちを持ってほしかったという思いがありました。
他の点からも、弟嫁からは、母が亡くなることに対して「全く悲しみを感じてませんよー」ということがひしひしと伝わってきて、嫌な気分になったのでした。
でも、弟嫁にしては、うちの母なんて赤の他人ですから、悲しくなくて当然だったんだなと、今なら理解できます。