疲れました
おぼうさま何度もすみません。今日は眠れませんでした。やはり主人のことを考え出してしまい眠れませんでした。朝になり休みの時は友人に電話をすると楽になります。本当にどうしたらよいのかわかりません。平日は仕事をしています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私ならこう考えます。
だいぶ引きずっておられるようですね。心の負担の軽減のために、ちょっと一言、ご助言申し上げます。
これは、もし「私があなたの立場だったら、こうします。」という話です。
「ご主人が倒れてしまった。まひが残る、今後どうしよう。ああ、かわいそうに。何とかしてあげたい。」本当に大変な状況であられると思います。だからこそ、共倒れになってはならない状況です。
私はこのような時、こう考えると思います。
・可愛そうなのはご主人だろうか。
・可愛そうなのは自分だろうか。
・かわいそうだと思われ続けても、ご主人はうれしいだろうか。
・それよりも、どうしてあげることが最良か。
・このまま、共倒れになってしまうならば(なってなるものかー)、今の状況を無理に変えようとして変わらないことにアタマを悩ませるよりは、今できることの中で最良の状態を探す。
・かわいそうだと思い続けることはかえって自分の身も疲弊させることになる。
・心配するより、その心配がなくなる具体的な行為・行動をとる。
病気の病痛は残念ながら誰も変わってあげられず当の本人様のこと。…であっても、病気の苦しみ、病気の憂いだけならばとってあげることはできる。できるのです。
では、その苦しみを取り除く方法とは、具体的にどこの何をどうすることでなにができるか。
痛みを取り除くのは鎮痛剤など、お医者様、医療のできること。
心の痛み、苦しみを取り除くのは僧侶や心医療の仕事です。
では、ここからは私が僧として、何ができるか。
ズバリ申し上げますと、今あなたは、今の状況を本当に本当のところはまだ見ていないと思います。見たくない。直視したくない心理があると思います。
今のその状況は残念ながら変えられないのです。
快方に向かうか、その状況が続いていくかは、今いくら考えても答えは出せません。
「看病」の看の字は手+目であるといいます。
まず直接、ご主人に触れて、さすって、治るように、愛情を伝えてあげてください。
本当に、それを続けることです。
看病をされる看護師さんたちは「私心」はあってはなりません。
苦しみの原因は「わたし」「わたしの」「わたしが」「わたしにとって」なのです。
その「わたくし」が手と目の間に割り込んでくることの無いように、あなたとご主人の間に「わたくし」が滅せられるくらいに看病に徹してみてください。答えがそこに現れます。
質問者からのお礼
丹下覚元様今の私の状態をズバリおっしゃって頂きまして驚いております。その通りです。
確かに今の状況を見たくない自分がいると思いました。なぜあんなに元気だった主人が・・・
と思うと悲しくて信じられなくて
少しずつ回復してきているのにあせってもいましたし。今までも手足は愛情込めてさすってきましたので、これからも頑張ってやっていきます。
誠に有難うございました。
感謝の気持ちでいっぱいでございます。
丹下覚元様今の私の状態をズバリおっしゃって頂きまして驚いております。その通りです。
確かに今の状況を見たくない自分がいると思いました。なぜあんなに元気だった主人が・・・
と思うと悲しくて信じられなくて
少しずつ回復してきているのにあせってもいましたし。今までも手足は愛情込めてさすってきましたので、これからも頑張ってやっていきます。
誠に有難うございました。
感謝の気持ちでいっぱいでございます。