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死ぬ前に。

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私は先天性の病があります。

現在何不自由なく生活していますが、先天性の病気で年々体に変化が起きています。

主に肝臓が悪く、肝硬変が進行しています。
いずれ肝移植が必要になると思いますが、ドナーが居ません。
移植ネットワークも先天性の病気の場合は優先順位が低いらしく、あてにできません。
身内の生体肝移植も全滅でした。

いずれ…肝臓が機能しなくなるか、合併症で命を落とすか…。普通に生活出来るのは、あと数年…と言われています。あと数年で何かしら不都合が出てきて普通には生活出来なくなるだろうと言われています。自分でも検査結果やら、体調の変化で何と無く実感があります。

自分の死が怖くないかと言われたら、怖いですが、それよりも残される子供が心配で仕方ありません。主人は真面目ですが、子供の事はさっぱりです。子供の世話をマメにしてくれたり、話を聞いてあげたり…全く期待出来ません。
きっと私が居なくなったら子供達は沢山沢山ツラい思いをすると思います。
少しでも支えになれば…と、想いを手紙に残そうにも伝えたい事が山ほどあります。
でも、自分の手で想いを残したい。何不自由のない今だから尚更そう思います。
私は何を最優先に残せばいいのでしょうか。
考えれば考えるほど、焦ってしまいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏さまに願われた私、あなたなんだよ。親だから伝えられること。

そうですか。。。同じ母親として、真っ先に お子さんのことが気がかりですよね。。。

僧侶をしていますと、この世は無常だと思い知らされます。誰もが、明日どうなるか分からない身であると。10年後、20年後の未来を、子どもの成長を想像し、その隣に自分も居たいと思いますが、それは誰にも分かりませんね。

子どもの横に、母親が居なかったら、どんな苦労が待っているだろうか。それを想うと、胸が張り裂けそうになりますね。いつまでも元気でいたいと願ってしまいます。でも、命は永遠ではありません。いつの日かやってくる その時に、またね と言えるように。

私も考えています。子どもに伝えたいことは、たくさんありますね。キリがないくらいに。道徳的なこと、処世術、そんなものは、親じゃなくても 周りが教えてくれます。
親が伝える一番大事なことは、願われた命を生きて、その命は繋がっていて、生まれていく場所があるということ。そして、永遠の命として、またいつの日か会える場所がある、それが仏さまに願われた 私、あなたなんだよ、ってことを伝えていくことです。これは、親でないと出来ないことです。学校では教えてくれません。大事な宗教観です◎
私は、子どもに、どんなことがあろうとも、どんな世になろうとも、阿弥陀さまを頼りなさい、頼りにして生きるんだよ、きっと あなたを守って下さる、支えて下さる、その先に 親は、私は、待っていますよ、と伝えてあります。(私は浄土真宗ですので、御本尊は、阿弥陀如来です。)

死んだらどうなるの、どこへ行くの、もう会えないの、これほど心細く辛いことはありません。だからこそ、宗教がその心を支えてくれるのです。

あなたの宗旨はなんですか。一度、仏法を聞かれるのもいいですね(*^^*)

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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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全てを捨てていかなければならない

 お釈迦さまは死ぬ時の心構えとして「すべてを捨てていかなければならないのだ」と覚悟を決めるようにとおっしゃっています。
 死ぬときは財産・持ち物を全部捨てなければなりません。
 大切な家族さえ、全部捨てなければなりません。
 本当は自分が、家族や持ち物から捨てられて、裸一貫でこの世から追い出されるのです。
 生まれたからには誰でもそうなるので、気にしてもどうしようもありません。
 しかもいよいよ最後の死ぬときには、自分の体をも捨てたくなります。
 これまでは体を大事にしてきたのに、最後になるともう体は痛み苦しみしか与えてくれません。こんな体は嫌だと考える余裕もなく、苦しくてたまらないから、ただ、逃げるのです、この体から、心が。その最後の瞬間は、財産とか家族を考える余裕は、恥ずかしながらありません。ただ自分のことだけ、自分の苦しみをなんとかしてなくしたい、苦しみから逃げたいという衝動だけです。
 で、この体、この家族、この財産から逃げた心が、どこかでまた体を作って、家族や財産を作って頑張ります。輪廻するのです。人間とは限りませんが、何に生まれ変わっても、もう、これまでの家族や財産は他人のものです。私は立場を主張できません。私の体は腐るので焼かれてしまって、もうありません。新しい境遇で新しい家族と一から頑張るしかないのです。

 子供の成長を親が見ることができなくて大変悔しいのですが、どうしても、親が亡くなってから、子供は頑張ります。ダメになるかしっかりするか分かりませんが、親がいないので、頑張るのです。親が元気なうちは、成人していてもなんだかまだ気楽なのです。
 親が亡くなってからの子供の成長は、親が決して見ることができない姿です。子供はペットではないので、仕方ありません。

 財産も家族も自分(の体)もすべて手放す。その時が来るまではしっかり心をこめて自分のこの世での役割を生きるのです。

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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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