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人前で泣けたら

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有り難し有り難し 33

久しぶりに来ました。
いっぱいいっぱいで、頼れるところもなくて。

家はまだ出てません。言われると、知っとるわ!と思います。家離れたほうが良いのは当の私が一番わかってるわ!実際やるのがどういうことかわかってんのか!と激昂します。それでハスノハにも来ませんでした。
辛いがたくさん溜まると、私はすべてが敵に見えます。すべてを敵にして、心を守ろうとします。でもすべてを敵にするのはあんまり良くないと思って、違う心のゆるめ方を探しています。
家出なさいって言われると、私は侮蔑の目で見ます。相手は絶対の安全地帯にいて、そこが揺らぐことはない。自分は安全な場所にいて、私に同情して正義を語るように、助言されると腹が立ってしょうがない。そんなことが言えるのは、自分がこっち側じゃないからでしょう。警察沙汰になる、シェルターにいく、大学を休学する、生活保護を受ける、リアルなこと何にも知らずに、ただの知識だけで、それ薦められると、本当に腹立つ。というか、私が物凄く混乱するし、言うほうはなんも責任はないし言っただけで済むからいいかど、言われた私は大変。…と、言っても、また上から目線だとか、性格歪んでるとか、怒られるのかなあ。怒るなら両親をまず怒ってください。

私は人前で泣けない。どうしようもなく辛くても、それを表に出せない。他人や友達や先生の前で、思い切りため息つきたい。仏頂面で毒吐きたい。すべての不幸を背負ったような顔して絶望したい。助けてと言ってみたい。泣けたらどんなにいいだろう。

ニコニコ笑顔でいるのがクセなのです。
小6のある日、悟りました。痛いとき痛い顔しても、痛みは治らない。辛い顔してても状況は変わらない。じゃあ笑顔でいた方がいいんじゃないか。人も不快な思いしないし、ウチの虐待のことがバレることもないし、いいこと。

おかげで虐待がバレたことは24年間一度もありません。どうやら虐待の子特有の雰囲気もおくびにもでない完璧な隠し方ができてたようです。母親から虐待はうちの中だけの秘密にすることは暗黙の了解だったし、父親のしてることバラせば殺されてたんだから。

そしたら辛くなってきた。幸せでもないのに笑顔でいることが苦痛以外なにものでもない。でももう染み付いちゃって、辛い顔ができない。泣けない…。

体も病気で病弱で、授業も休みがち、もう本当に辛い。助けて。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

南無阿弥陀仏

一晩ずっと、そして今日も用を足しながら、なんと言葉をかけたら…と考えていました。しかし正直に言うとかける言葉が見つかりませんでした。

おっしゃる通りあなたの人生に代わってあげることもできないし、あなたの人生の責任はあなたしかとれません。どんな同情の言葉をかけようがこちらは無責任というものです。

じゃあ話を聞くだけでも…とも考えました。聞いて、「そんな両親ならぶっ〇したくもなるよね」とか「説教する相手間違えてるお坊さんムカつくよね」なんて傾聴・同意を試みようとも思いました…しかしどうにも安全地帯からぬくぬくとそうするのもあなたの必死の訴えの前にはかすんでしまうだろうと、タイプする手も止まってしまいました。

というわけで自分の話をしたいと思います。(←え?

私は浄土真宗という教えを拠り所としていますが、その宗祖である親鸞聖人は、「憐れんだり、可哀そうとおもったり、愛おしくおもったり、育んだり…そういうものでは思う様に相手を助けることはできない」と断言されました。

よって、私がそのような同情であなたを助けることはできません。ですから、私が助かった話をして、それがあなたはあなたの助かる道を求める力となればなあと思ったところです。

浄土真宗はお念仏の教えです。お念仏は「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」です。「阿弥陀様という仏様におまかせします。」といったぐらいの意味です。阿弥陀仏という仏様は今・ここにおいて救いを求めるものをこの身・このまま・ありのまま救うとお誓いになった仏様です。
この身・このままが苦しいから助けを求めているのになんだか変な話ですよね。それに念仏しても腹の足しにもなりませんし、現状は何も変わりません。

なのになんで念仏で救われるかと言うと、お念仏は「絶対にあんたを見放すことはせえへんで!(←なぜ関西弁?」という阿弥陀様の呼び声だからです。

私の口から出るけれど、それは阿弥陀様の呼び声なんですね。ためしにお念仏してみてください。中々できないかもしれません。
私たちの価値観といえば「何かにならなければ何一つしない」「やろうと思えば何でもできる」といったエゴイズム満載のものです。それを突き破る呼声が「そのままんでええんやで(←だから」のお念仏です。

そのまんまでいいからこそ、私は私のやりたいように勝手に頑張ることも頑張らないこともできるのです。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

泣きたいね....

私は、過去に回答したことがありますが、ひろさんの過去の質問と返事を読んでいました。
まあ、今日は夜更かしです。

私が思うに、ひろさんは、常に感情を表に出さず、抑え込んでいます。
この抑え方がハンパない。
本当は他人や、信頼できそうな人に、いっぱい言いたい事あるし、毒だって吐きたい。
でも、「習慣」がそれを阻止する。
九九で失敗しただけで、恐ろしい事になるのですから。

だから毒が溜まり、どこかで不意に激昂する。
もし、あなたの心の奥底まで知らない人がそこにいれば、きっと仰天するでしょう。

「ニコニコ笑顔」もそれは抑え込んでいるから。
だから、そんな場違いな顔になる。
虐待を受けた人なら分かりますが、暴力を振るわれる前に笑います。
たたかれながら笑います。
そう、周囲に迷惑をかけたくないからです。
事を大きくしたくないからです。
なんて悲しい事なんだ。

あなたのその笑顔の奥には、語りきれない憎悪と悲しみがあるのでしょう。
でも抱え込まずにはいられないんです。

私は、あなたの悲しみがすべて分かりません。
しかし私が思うに、ひとりでいっぱい泣いてこられたのでしょうね。
親を呪い、運命に悲嘆し。

感情を思いきり出すことが出来れば、どんなに爽快でしょう。
しかし今は、周囲の人に素直に援助を求められません。
だって、もう見捨てられるのは、トラウマだから。

ただし、感情は出せなくても笑顔はあなたにとってにプラスです。
その部分だけでも感じ取っていただければ幸いです。
どんな影を抱えたとしても。
少なくとも私はそう思います。

でも、本当は本当は・・・・・
他者に甘えて、胸の中で思いっきり泣きたいですね。

追伸
返信を気にされていますが、私はなくて大丈夫ですよ。
欲しくないといえばウソになりますが、なくてもいいんです。
しんどいだろうけど、ひろさんが元気でいてくれれば。

もっと書きたい事がありましたが、今のあなたには届かないかな?と思い、控えました。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

「自灯明 法灯明」

ひろ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

相手の本当の気持ちは、同じ境遇とならなければ真には分かり得ない。

これは、拙生も実感するところがございます。

しかし、それでも、その苦しみや、辛さ、悩みは何とかしてあげられたら、と存じております。

仏教は、まさにその解決する方法が説かれてある教えでございます。

しかし、それはあくまでも方法であって、それだけで解決できるものではありません。

真に解決するのは、仏様や僧侶や、他の誰でもなく、その方法を実践するその人自身でしか無理なのであります。

「自灯明 法灯明」

拙生は、貴女様を救うことはできませんが、その方法については、少しばかり学び修させて頂いてきていることから、アドバイスは可能でございます。

是非、少しずつでも構いませんので、仏教を学び修されていかれますことをお勧め申し上げたいと存じます。そして、分からないことがございましたら、またhasunohaでもご質問を頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

こんばんは。回答ありがとうございました。
私のためにものすごく悩んでくれたことがわかって、驚きました。見ず知らずのイチ質問者にここまで真剣に考えてくださるなんて。なんだか自分にもそんな価値あるんだなと救われたような、驚いたような、心底嬉しかったです。

ああ、解ってもらえた。怒られなかった。良かった…。と胸をなでおろしました。どれもその通りで、筆舌しがたいほど辛かったこと、辛いこと、色々な感情で泣きました。
うちでは泣くことも反逆と見なされて殴られるので、声押し殺して、です。

そして、ああわかってもらえた、もう笑顔疲れた、休みたい…限界だから…と思った途端、大学に行けなくなりました。もう2週間になります。これがまた大変私を苦しめました。新たに質問しようかと思いましたが、嫌なら辞めろとか、甘えだとか、贅沢だとか色々言われると思ってできませんでした。

お礼のコメントには、でもまた通えるようになりましたと書きたかったのですが、叶いませんでした。勉強できることは贅沢だから、誰にでも与えられる機会ではないから、大学に通えることにとても感謝しています。だからどの授業でも上位10%に入るよう死にものぐるいで勉強しています。なのになあ…とか、だからかなあ…とか、毎日、明日は行けるかもと必ず準備は整えて、ああ行けなかった…を繰り返してます。

出口はまだ見えませんが、今回の回答はどれも、とても深いところで理解してもらえた言葉で、すごく沁みました。ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ