母のことが忘れられません。
2年前に母を亡くしました。
自分の身体が悪いのに、ずっとずっと私のことを考えて生きてきてくれました。
がんが見つかり、1年3か月の闘病でした。
医療スタッフさんのおかげもあり、葬儀なども無事に済ませ母の死をきちんと受け入れられたものだと思っていました。
ところがここ1か月ほどでどうしようもないほど母に会いたくなり、ほぼ毎日仕事から帰ってきては涙が止まらなくなります。
会えるわけなんてないとはさすがに理解していますし、お骨も先に亡くなった父と一緒にまだ自宅に安置してあります。
でも会いたくて会いたくて仕方なくて、ただただ毎日苦しいです。実生活もいいこともなく、生きててもしんどいな、死んだら会えるかなと思ってしまうこともあります。そんな時は母がかわいがっていた猫たちにふと引き戻されるのですが…
どうすれば本当に両親がもういないことをしっかりと受け入れられて生きていけるのでしょうか…。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ちゃんと、あなたの側にいてくださっているんですよ。
ちゃんと、あなたの側にいてくださっているんですよ。
大切な人を失うのは、本当に辛いわね。時間が止まったように、周りの流れに乗れず、ただ 会いたいと、どうしようもない気持ちになりますね。死を受け止めるのは、簡単なことではないから。それが人間です、執着があるから、どうしようもなく悲しいのよね。
私もです。。。そんな私だから、救ってやりたいんだよって、仏様が願ってくださる仏教の世界があるんです。私の命を、人生を、支えてくださり、生まれていける世界まで、そこで必ずまた会える、そう教えてくださるのですよ◎
だから、あなたは、ひとりではないんですよ。私も、こうして支えられ、生きていられる。
葬儀をしてくださった住職さんとお付き合いはありますか。お参りに来てもらっていますか。そのときに、仏様の世界の話を聞いてみてはどうかしら。
私は浄土真宗ですが、宗旨は関係なく、あなたの気持ちを聞きますよ。また、話したくなったら、不安になったら、メールでも構いません。一緒に話そう(*^^*)
悼み直してみては?
べつにいいじゃん、無理に涙を堪えなくても。
だって、悲しいものは悲しいし、寂しいものは寂しいんですから。
この湧いてくる感情を湧かすなというほうが無理というものですよ。
お母さんが亡くなってからのこの2年。
もしかして、ちゃんと悲しんでいるヒマなんて無かったんじゃないですか?
もしそうなら、”もう一度悼み直す”というのはいかがでしょうか?
例えば、お坊さんにお願いして定期的にお勤めをしてもらったり、遺品や思い出の写真を整理したり、ご両親のご遺骨とちょっと一緒に出かけてみるのもいいかもしれません。
豪華な葬式をしたとか高価なお墓を用意するとかそういう事ではなくて、本当の意味で、
「ありがとう、わたしはもう大丈夫ですから。」
と、あなたのほうからきちんとお別れができれば、亡くなったご両親はどれだけ安心してくださることか。
きっとあなたはまだお別れの途中なんだよ。どうか最後まで見送ってあげましょう。
グリーフケアを受けてみる。
なみやんぬ 様 相談ありがとうございます。
グリーフケアとは、グリーフ(悲嘆)のケアという意味で
愛する人の死別やペットロス、あるいは離婚、病気とかで夢をあきらめる
ことによる、心理的苦痛を癒すことを
グリーフケアといいます。(ご存知ならすいません)
じっくりと、ゆっくりと、なみやんぬさんのお話をお聞きし(傾聴し)
癒やし、別れの受け入れ、新たな旅立ち(独り立ち)のお手伝いをしていただける
グリーフケア専門のカウンセラーが、徐々に増えてきています。
一人で悩むより、お家で悲しむより、専門の人に話すことで
癒されたり、笑顔が取り戻せたりということがあります。
また、同じ境遇の人同士が語り合い、悲しみを共有することで
理解者が増えて、心が楽になることもありますので、
どうぞ、グリーフケアをお受けになってください。
亡くなって何年も経ってるから、とか関係ありません。
悲しみがフィードバックすることもありますので
その都度、癒す作業が必要かと思いますので、
グリーフの専門の方に寄り添うようにお話を聞いてもらうことをお薦めします。
参考までに。
一礼
質問者からのお礼
あたたかいお言葉をありがとうございます。
父が4年前亡くなり、その際に母の実家が熱心な浄土真宗門徒であったこと、偶然にも私が浄土真宗の宗門校の大学を卒業したことから父親の地元の宗派ではなく浄土真宗(西)をとることにしました。
幸いにも住職様も私が浄土真宗好きであることからいろいろなお話をしてくださったりしています。
もともと妹との仲も悪く私ひとりで通院や入院など母をみてきたこと、葬儀などの手配などもすべてひとりで行い、親戚一同も妹の味方で私には辛く当たるだけでした。そのうえ四十九日すら迎えないうちに妹から一方的に遺産分割について弁護士をつけられ…と心休まる日は全くありませんでした。妹のSNSが目に入り、韓国タレントを追いかけ夜な夜な飲み歩いている写真を目にしてしまい、なんでこんなに私ばかり…とよくないことですが思ってしまいました。母の看病?をできたことはもちろんとても幸せなことだったとは思いますが…。
時間が解決してくれるのかと思いましたがそういうわけにもいきませんでした。声が聞きたくて話したくて、母からの留守電の残った携帯電話でその声を聞いても寂しさが沸くばかりでした。
いつになれば癒されるのか全く予想もつきませんが、一日一日ゆっくりでも生きていきたいと思います。