チベットの鳥葬
脳の障害の為に人間関係が築けなくて、常に孤独だし、それを覆えるだけの才能も無いし、生きてるのが申し訳ないです。
生きるからには、他の生命体を殺して食事をするし、水も電気も使うし、でも地球規模で見れば、エネルギーは限られてます。
私のように生産性のない人間を養える程、地球は豊かではないと思います。被害妄想とかでは無く、合理的に考えて、自分が生きていることに違和感を覚えます。
頭痛薬も胃薬も抗鬱薬も私には必須なものが、たくさんの動物実験の上に成り立ってます。
他の生命体の犠牲があって、自分は生きています。
私も自分の生命を犠牲にして他の動物の役に立つのが自然だと思いますが、日本国内で、何かいい案はありませんか?
チベットの鳥葬の文化が素晴らしいと思います。ハゲワシに遺体を食べてもらう事で、他の小動物の命を助けてるからです。(読んで気分を害された方、ごめんなさい、でもまだ続きます)
命を消費してばかりの私が、他の命の役に立ちたいのに、チベットは遠過ぎるし、飛行機は乗れないし。
どこかの熊エリアで首を吊って食べてもらうぐらいしかないでしょうか。
でも、人間の味を知った熊を自治体は駆除すると思います。
ギロチンを復活して殺してもらい、鷲や鷹に食べてもらいたいです。人命尊重と同時に動物の命も尊重しないと、バランスが悪い気がします。人間も犠牲にならなくてはいけない気がします。
戦争の兵隊になるのでは無くて、動物の命の役に立つ為に。
生きながら食べられて死ぬ勇気がないので、悩んでます。
鳥葬の文化が素晴らしいなんて、ハスノハでは言ってはいけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
鳥葬と一緒にされては困りますね。
いかにもいかにも謙虚で献身的で殊勝な志をお持ちのようにみせかけて、
自分で自分の命にツバ吐きかけているようでは、まるで話になりませんな。
供養とか布施とか自己犠牲とかいうものは、施主の精一杯のおこころざし。
あなたは自分の命を差し出すような事を言うておりますが、
どーせこんな生産性のない命、どーせ無駄に消費ばっかりしている命、どーせこんな命は動物に食わせてしまえばいい、、、どーせ、どーせ、どーせ、、、
どうも《どーせ》が隠れているようですね。
布施、供養、寄付、寄進、自己犠牲、どれも自分の大切なモノを差し出すから【慈悲喜捨】というものは施主の修行になり功徳に繋がるんですよ。
もっとあなたの大事で大事で手放すのが惜しくてたまらないモノを差し出してもらわないと。
あんたの要らんようなモン、誰が要るかよ?
あなたが自分の命の尊さ、有り難さに気がついて、それを噛み締めて味わって、嬉しくて幸せで、そこらへんに生えている草木や虫を見てもその尊さに手が合わさるほど生活が充実して、、、
その上でまだ命を捧げたいとおっしゃるのなら、
そのときはもう一度改めてご相談下さいませ。
<追伸>
”天にツバ吐くつもりはないです。”
自分で自分の命にツバ吐きかけていますねとご指摘しました。
”むしろ天が私に、そろそろ諦めて死んだら?と言っています。”
とんでもない思い込みですよ。それって諸仏諸菩薩諸神等への冒涜です。
”私は私なりに大変なのですが。”
お察し致します。ただし、あなた一人世界で一番不幸に思うような思考は間違いでしょう。
”仰るとおり「どーせ」の渦に入ってます”
そうでしょうね。何度も申しますが、ニヒリズムにハマる事と仏教の苦集滅道の【四諦】は真反対ですからね。この点については、あなたほどではありませんが、かつて私もそれなりの苦悩の中で「どーせ」の渦にドハマリし、それを打ち破った経験から助言させて頂いております。
命を途中で投げやりにする事と、【身を粉にしても報ずべし 骨を砕きても謝すべし】というのは全く正反対の態度ですので、よくよくお考え直し下さいませ。厳しい言葉ばかり申し訳ありません。しかしながら、ニヒリズムとチベットの民たちの崇高な文化を混同せぬよう、ぜひ。
鳥葬は昔からイランやインド、チベットである風習ですね。悪いことではありませんよ。とくにチベットでは火葬する為の薪が確保できなかったり、土葬しても気温が低い為に分解されなかったりして、鳥葬が一番適しているようです。
なお、命が尽きた後で鳥に食べられるので、生きたまま食べられるのではないですよ。
もし希望するなら、チベットのことや言語などを調べて勉強して、お金を貯めてチベットに移住して、チベットの仏教徒として生活して、そこで命が尽きた鳥葬してくれるかもしれません。
ただ、鳥葬にこだわらなくてもいいと思いますよ。人体の60%は水でできています。あなたがどのような最後を遂げても、火葬したらその人体の水は蒸発し、雲になり雨となり川となり海となります。たくさんの生き物の支えになるのです。骨も灰も長い年月をかけて土に戻り植物や微生物たちの養分となります。ですから安心して下さい。
辛い日々の連続なのでしょうが、自然に命が終わる時を待ちましょう。
薬を飲むことに罪悪感を感じなくていいですよ。あなたが薬を飲むことは、製薬会社にお金が入ることになります。そのお金で新たな薬の開発ができるのです。その新たな薬のおかげで、どこかの誰かが助かるのです。決して無駄では無いのですよ。
それと、ハスノハであなたの質問に有難しを押す人の中には、あなたの質問に共感した人もいると思います。その中にはあなたと同じ境遇の人もいることでしょう。日本のどこかにあなたと同じ人がいる。彼らもきっと苦しみながらも1日1日をなんとか生きている。そのことも励みにして生きてくれたらと思います。
人体は寄生虫や菌のアパート
人体には、無数の菌や寄生虫なんかが住んでいます。
皮膚に住むダニが原因でニキビができる場合もあるそうです。
あなたが生きていることで、喜んでいる菌や虫がいます。
鳥葬で鳥は喜ぶでしょうけど、現代の日本では、衛生面を考えたら火葬か土葬が現実的だと思います。
他人の役に立ちたいなら、たとえば、コンビニのレジの募金箱に小銭を入れてあげてはどうでしょうか。
募金や、電車で他人に席を譲るとかも、布施波羅蜜(ふせはらみつ)という修行になります。
その修行の効果で、心に善い癖(功徳)が積もれば、現世では心穏やかに過ごせ、来世もより良い生き方ができると思います。
あなたの未来の幸せは、あなたがコントロールできるのです。
それでも、自分で善い行いをするのが難しい場合は、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏をとなえて、仏様の救いを願ってください。
南無とは、「帰依します、私をお任せします」という意味。
阿弥陀仏とは、どんな悪人でももれなく救ってくださる仏様です。
質問者からのお礼
転落院様
回答いただきありがとうございます。
天にツバ吐くつもりはないです。むしろ天が私に、そろそろ諦めて死んだら?と言っています。その直感を信じると鳥葬になります。私は私なりに大変なのですが。
「慈悲喜捨」は初めて聞きました。特に「捨」が大事。仰るとおり「どーせ」の渦に入ってます。辛い時は「慈悲喜捨」のイメージを持ちます。
三宅様
回答いただきありがとうございます。
鳥葬にはその土地の気候や燃料事情もあったのですね。
ペットが体調不良で薬について調べたら、殆ど人間向けに開発されたものでした。ペット用は開発費用ばかりかかり利益が薄いのだそうです。
同じ薬でも消化や代謝の仕組みが異なる為、使用の制限はありますが、動物の犠牲→人間で治験→人間治療→動物治療の流れがあったのを思い出しました。
また、遺体を焼いて出る水分の話に感動して涙が出ました。火葬に不安を覚えてましたが、もしかしたら私も水分で?大きな世界の一部に帰れるのなら嬉しいです。チベットは遠過ぎるし。そんな根性があればいいのにと思いますが、まず無理だとは思います。
いろいろと有益な情報をありがとうございます。
願誉浄治様
回答いただきありがとうございます。
火葬について、衛生的であるというメリットがあるとは思いもしませんでした。募金は動物愛護団体にしてます。
布施波羅蜜について調べてみました。修行って、滝行とか、座禅だけじゃないのですね。私は体力も精神力も健康も足りないけど、できることをします。
どうしても食物連鎖の輪の中に入りたい。という気持ちは、私がどう足掻いても世界から、社会から、家族から、隔絶した感覚しか持てないのが原因だと気がつきました。
そうすると問題は鳥葬か火葬か、ではなくて、なぜ隔絶してるのかな、という所でしょうか。
この質問をしてみて良かったです。
回答くださった僧侶の皆様、本当にありがとうございます。