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亡くなった人に生きている者の想いは伝わりますか

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 先日は浦上和尚様、中村和尚様にご回答頂きありがとうございました。
お二人のお言葉には感謝しておりますが、彼のいない事がこんなにも寂しいとは思いませんでした。

お二人には私がお経をあげてもらう事は良いと言って頂き、救われた気持ちでした。
ただ先日、彼が一番信頼する先輩に話したところ『彼はそんな事は望んでいないと思う。人間は死んだら無になると思うよ。お経をあげても届かないと思う。彼が生きていたらそんな無駄な事はするなと言うよ』と…。
冷静に考えれば私も彼はそういう事を言う人だと思います。元気な時私が世話を焼いてする事にはやはりそう言いました。でも後にはいつも私の気持ちに応えてくれました。
私がする事は許してくれると思うのですが、形だけの家族でも家族のする供養の方が正しい事なのかもと思ったりします。
亡くなる一ケ月程前には先輩にも離婚の話しをしていた。先輩の前で電話して離婚の話を娘にし、けじめをつけようとしていた。私には過去の自分がした事で悪い事をした。と言っていたと聞きました。
私のことなどなんとも思っていないだろうなぁと想っていたので救われた気もしました。でも彼も寂しかったんだろうと想うと前向きになれません。

またお答えを頂けないでしょうか


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

読経は修行。彼だけのためではない。

お経を読むのは、仏教を学ぶためと、精神集中のための、修行です。
修行をするとあなた自身の気持ちが平安に近づくのです。
なぜなら、仏教は心を平安にするための教えだから、その教えを意識しながら毎日念じると、心に善い思考の癖がつくからです。
なので、お経を読むのは、第一には、あなた自身の心の平安のためです。
お経を読んでいるときに、五感や脳内からさまざまな刺激や妄想が入ってきて、お経を間違えそうになったりします。それに負けずに読むことは、精神集中の訓練になります。
精神集中の訓練は、妄想雑念・悪い感情を制御するスキルアップになるので、これもまた、あなた自身の心の平安に役立つのです。
亡くなった人は、輪廻転生して新しい生き物になる可能性があります。
彼の生まれかわりが、あなたのお経を見聞きしたら、その彼もまた修行を追体験でき、彼の心の平安につながる可能性があります。
彼だけではありません、生きとし生けるものすべてが、もしあなたのお経を聞いたら修行に役立つかもしれない。
私も、お経を読むときはそう思っています。
ですから、第二の目的は、すべての生き物のための修行のおすそわけ、です。
亡くなった特定の人のために唱えるという狭い考えは捨ててください。
実際に死者に伝わるかは確かめようがありませんが、伝える気持ちで他者への慈悲を育んでください。慈悲は怒りを弱め、平安な気持ちにつながります。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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それでも、せずにおれない

こんばんは。世の中には色んな考え方をする方がいらっしゃいます。私は自分の考えと異なる人を否定したり、考え方を変えてやろうとは思いませんが、せめて「いま、できる事がある」とするならば、それをせずにはおれません。「彼が望んでいたか否か」は分かりませんし、知りません。しかし他にできる事があればすれば良い事ですし、「ひとつ行えばそれでよし」とお考えであれば、それでも良いのだろうと思います。
お経を読む、供養することは祈りに通じます。「亡くなれば無になる」というようにあなたもお考えであれば、「祈っても仕方ない」なのかも知れません。しかし、誰も死を体験したことがない世界に、私たちは生きているのです。先輩のお考えはそうであるにせよ、あなたご自身がどう考えるか、どう考えるのが貴方にとって心安らかなのか。それを出発点にするのが良いと思います。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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お経は亡き人のために読んでいるわけではない。

供養というのは、❝ともに❞ ❝やしなう❞こと。
この世の最上最高のものを生者死者へだてなく互いにシェアし合うことが供養です。
ヒットラーや習近平の教えを経典にして読んで供養になりますか?
誰かを侵略し殺傷することを良しとする、人が救われない教えでは、お経になりもさえしない。それに等しい行為、それ以下が「供養をしない」ということ。
それは自分ルールというエゴ経典をお供えしている姿だからです。
「人は死んだら無」?
その彼の言った通り、本当に無になっていますか?
現に残されたあなたの中で彼は無になっていないから今悩んでいる。
そういういい加減な言葉を言い放つ浅はか者を個人思想家という。
そういう意見を採用し、そういう教えをお経としてお供えしている(供養しないという供養スタンスの)結果が今のあなたの精神状態ですよ?
救われてないでしょうに。
厳しいですが、あなたが文章化したことで都合よく「私もお経なんて無駄だと思う」という人が増えれば日本はどんどん個人思想家(エゴ屋)が増え、自己中心的になってしまうのです。
そう思っておられる方も多いので、この紙面を借りてお伝えしています。
みんな坊さんにお経読んでもらってOKとか思っているから誰も成仏しない。
あなたも、なのです。お経・供養とは、あなたがお経の内容によって救われること。
そうでなけりゃお経CDやロボットでイイことになる。
供養とは心の中で死者に廻らし向けるたむけですからいい加減じゃダメなのです。
最高ものをそなえる。
自分も救われ、世の人すべてを救える内容でなければいけない。
人間の損得苦楽、私情をはなれ切った人類最高の教え、姿、行い。それがお経。
供養とはそれ+あなたの精神の向上(お経の中身を学ぶ)。
人が死んでも供養をしない…では、自己の成長が無い。自我の増長にしかならん。
そうすると中国のような無宗教で他国を虐殺する残忍な自己中心教団になる。
読経というのは人類の叡智を互いに読み合っているのです。
生者死者ともに無常、無我、空、無を悟るから救われます。
亡き人の為にお経を読んでいるんじゃないのです。
あなたが人類最高の生き方をしているよ、ということをお経を読んで、供養して、お経の中身を実践することで、彼と気持ちが最上の形で通じ合えるのです。
それを感応道交と言います。

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おきもち

質問者からのお礼

 願誉浄史和尚様、佐藤良文和尚様、丹下覚之和尚様ご回答ありがとうございました。
感応道交、仏様と気持ちが通じ合えるよう、お経の意味を理解できるようにしたいと思います。
ありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ