自分というものを持つ
連日お世話になります。日々お坊さんからのお言葉を参考にして、過去の投稿と今の気持ちを比較すると考えがまとまってきたように感じています。
職場がストレスだ、人間関係が辛いだ色々なご相談をさせてもらっていました。しかし、結局何が具体的に問題なのか改めて考え直した方が良く思い考えました。上司も同僚も決して変わりません。よって厳しい空間な事は現時点では変わらないと思います。
私が勇気にでないのは、いつも厳しい言葉をいわれたり、傷つく言葉や態度をされた時に全てまともに受け止めているからだと思います。誰でも大人数で束でかかってこられたらメンタルは持ちません。そして私はその時に自分だけが、自分が全て悪いのだと追い込まれていました。けれど納得のいかない事もあり、でもそれが言葉にできず受け止めたふりをして泣いてました。後は、私が職場で浮いたり、話しができなかったり、体調を壊してしまうのはそうなる原因をその人たちも作っているのです。私だけが悪いわけではないと思います。私も直す所は直しますが、相手も直してほしいです。なんて事を言葉で伝えても、私の存在が嫌で辞めさせようとしている人に言っても無駄だとも思っています。私は、何を言われても集団で無視や厳しい態度をとられても、私は、私だ。という事を忘れずに相手のペースに巻き込まれない様にしなければならないと思います。
私が、休職から復帰への中々1歩が踏み出せないのは、復帰したら、また厳しい言葉や態度を投げつけられる。それが怖い。
その気持ちがあるからだと思います。はっきりと受け答えができない自分や、萎縮してしまって何もいえない自分がいるからだと思います。その考えを変えなければどこでもこれから先は大変だと思います。
退職をするにしても一度休職からもどろうと考えてます。だから今はいつまで休職をとるか悩んでいます。
期間としては十分休みました。ただあと数週間後にという自信は正直ありません。心も体も整え年内にいけたらか年明けと思います。厳しい言葉や態度をとられた時にどのような対応をできる大人でいたら良いでしょうか。また、言われたあと開き直るにはどうするのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一度、相手の言い分をしっかり聞いてみては如何でしょうか
『私は、私だ。という事を忘れずに相手のペースに巻き込まれない様にしなければならない』…、似たような考え方は、私もかつて教育される中で学んできました。
それを貫くと、例えばケヤキのような堅い木に成れるのかも知れません。ケヤキは堅く大きな分、しっかり踏ん張り続けなくてはなりません。強い風雨にも負けないで しかと立ち続けるのです。
一方でヤナギという木もあります。細く柔らかい為 台風の際、もう横どころか上へ下へと枝葉が吹き流され、どうなってしまうのかと思うくらいです。でも台風が行ってしまえば、ヤナギはまた何事もなかったかのようにそよ風に吹かれていますね…涼しい顔(?)して。
ケヤキでないといけませんか? ヤナギは情けないですか?
ケヤキを目指すならば、まず根をしっかりと張らなくてはなりません。養分を吸収して、太くて広がる根がなければ、太い幹を支えられないのです。
あなたにとって「根を張る」とは、しっかり勉強し、仕事をきちんとこなし、人に頼られるようになることです。そうしたら、人にいろいろなことを言われることもなくなるでしょう。
『厳しい言葉や態度をとられた時』の対応とは、あなたが同じだけの言葉や態度を取ることではないのです。それならば子供のケンカと変わりません。
人は人をよく見ています…あなたが、また私がそうであるように(…でも、自分の姿は見えていません…実際 私がそうなのです)。
相手に見透かされていては、勝ち目はありません。
…そもそも、ケンカする必要などないのです。ヤナギは風とケンカしません…でもちゃんと生きているじゃないですか。
正直『はっきりと受け答えができない自分や、萎縮してしまって何もいえない自分』のままで、相手に態度だけ強く出たならば、あなたはケヤキに喩えれば「折れてしまう、倒れてしまう」ような気がします。
どうか、相手の言うことを遮らず、拒絶せず、しっかりと最後まで聞いてください。
そして、一つ言えるのは「人にそのような態度を取れば、舐められ、こてんぱんにされてしまう」ということは事実ではありません。
うそだと思うならば、「実験だ。これは実験なんだ」と思いながら、相手の言うこと、そして態度をしっかりと見聞してください。
そこから学ぶことは本当に多いと思います。
どうあっても、仏様があなたを支えて下さいますよ…。