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これからの人生

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小さなIT系ベンチャー企業の社長をしています。煩悩の塊のような性格です。いつも「今を生きる」という気持ちで生きてきました。

成功したい。金持ちになりたい。恋人がいるにも関わらず、女遊びがやめられません。セックス依存症なのかもしれません。遊びを覚えてしまったせいで、色々失ったものもあります。誠実な気持ちや人間的な感情を失い、恋人が浮気していたことを知ってしまいました。恋人は私のビジネスに関わっていることもありますし、もう長い付き合いで家族のような存在です。別れるという選択も考えましたが、自分の蒔いた種だったので今は反省しています。しかし一時の快楽に勝る楽しい経験もこれまでなかったので、後悔することはできません。

これからの人生をどう生きていけばいいのか迷っています。落ち着いた普通の人生を過ごそうとしても、何かが満たされない気持ちになります。刺激のない人生を送ると枯れて死んでしまいそうな気がします。かといって金と女に生きる派手な人生を選んでも、一時的に快楽を得るだけでふとした時に孤独で辛くなるのだと思います。バランスを取ろうとしてもそれは結局うまくいかないことがわかりました。理想の人生がわかりません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

社会的成功欲ではなく 自分的成功欲を持つべき

まず、ちんちんを高須クリニックで切り取ってもらって、封筒で当山まで郵送してください。ねんごろに葬って差し上げます。('ω')
手術台に横になって「本当によろしいでしょうか?」と問われたら振り向きざまにキメ顔で次の言葉を懺悔と未練とちんちんを断ち切るお真言としてお唱え下さい。
「YES!高須クリニック!( ゚Д゚)」とね。
冗談はさておき。
さんざん女遊びもして、何か残ったでしょうか。「坊さんに相談する程病んだ。」
仮に女性が「1000人とヤッたわ」と自慢しているとします。
それが母親になった時、子供目線から見てどう映ると思いますか?
自分の母親が実質売春婦。誇らしいでしょうか?ちょっとイメージしてください。それと同じ行為を自ら進んで行為しているのがアナタ。
修行道場8年目くらいの時、修行に飽きて、ギターをかき鳴らして町に居たら、オッサンが私に懺悔してきました。「600人とヤッた。だけど、カミさんに病気うつしちまった。」
男性のシンボルも女性のシンボルもデリケートな部分です。
飛び出した内臓みたいなもの。
関係持った女性や、元カノの元カレの元カノの元カレがエイズや病気持ちだったらあなたもビョーキ持ちです。病気になるまでやってみたらよろしい。
おまけに恋人まで寝とられた。
その寝とった相手は、あなたです。あなたの同行。
人の女性に手を出し、おいしい処だけかっさらう。
あなたは自分にようやく出会えたのですよ。自分のやっていることが報いとなって自分に返ってきただけ。
そこで、あなたが自分への顧みがなければ、ちんちんが何本あっても足らんのです。
それは自分への手ごたえがないからです。本当の自信にならない。
打たれるとひびが入る壊れるプライドでは社会的に成功しても一生自信がつかない。
それを埋めようとして、刺激を求めても何も変わらない。
自分的成功とは、物事を吸収するメインピックアップをカッコつけたがる我欲から自分の命が穏やかになるためのピックアップに切り替えるのです。
自分の弱さへの向き合いを持つ。本当の自信を得ることです。
機会があればお近くのお寺か、当山か、YES!高須クリニック!まで!

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

本当の幸せは「悟り」以外にありません。

「成功したい。お金持ちになりたい。」
ビジネスの世界では誰しもそう思っているでしょう。
私もお金持ちになりたいと思います。
しかし、お金持ちなったら幸せなのかといえば何か違うように思います。

私たち人間は智慧がありません。
だから本当の幸せが何かわからないまま、幸せを求めて生きていきます。
そして結局最後は訳も分からず空しく死んでいくだけです。
それではせっかく人間に生まれてきたのにとても残念です。

だから仏教の教えにであって欲しいと思います。
悟りを求める仏道は案外楽しいものです。
遊びや刺激を求めながらで結構です。
仏様の智慧にも興味を持ってみてはいかがでしょう。
今まで考えたこともなかったような教えにであえるかもしれません。

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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

煩悩はそのまま悟りのエネルギーとなる

ミトシさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。

今まで煩悩の塊のように生きてきたけれど、そのままでは空しい気もする。しかし、落ち着いた普通の人生を歩もうとしても枯れてしまうのではないかと心配になる。上手くバランスを取れないのだが、どうしたらよいかと迷っておられるのですね。

ミトシさんは若くして会社を興し、がむしゃらにがんばってこられたことでしょう。それに伴って、湯水のようにお金が手に入ってしまいました。

この爆発的なエネルギーは煩悩によるものです。

今までは、会社運営と女遊びに使ってきました。今後は、社会に目を向けてお金を必要とする人に分け与える(仏教では布施と言います)をしてみてはいかがでしょうか。
IT企業の巨人、ビル・ゲイツも使い切れないお金を持て余したとき、財団を作り寄付活動をしています。

真の経営者を目指すなら、煩悩のエネルギーの使い道を考えてください。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

皆さんありがとうございました。これからは誠実に生きていきたいです。お寺にも立ち寄ってみます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ