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噂をひろめた人も罰を受ける?

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いつもお世話になっております。
今回もどなたかご回答いただけると幸いです。

今までの質問で、過去に犯した不倫のために苦しんでいることをご相談させていただきました。
自業自得であり、これからはこの罪を背負いながらひとり苦しんでいくことが償いだと思っております。

今回質問させていただきたいのは、私の不倫を社内でひろめた人もいつかなんらかの罰を受けるのか?ということです。

噂を広めたであろう人物とは、はじめは仲良く打ち解けていたつもりでした。しかし、次第に自分のほうが優秀だ、社内で人気がある、あの人からプレゼントをもらうのだと自慢するようになりました。私はそれに対抗する形で社内不倫を打ち明けました。今思うと本当に馬鹿でした。

打ち明けた直後に、あの人は口が軽いからと聞き、いつかバラされるのではないかと怖かったのですが、不倫相手に相談したら気にするなと言われたこと、不倫相手から3ヶ月程で別れを告げられたこと、打ち明けた人物と距離を置いていたことで気にしないようになりました。

それから数年経ち、私は会社を辞めました。辞めた後で社内で噂になっていると聞き、真っ先に打ち明けた人物を疑いました。それは、不倫が現在進行形で噂になっているからでした。

不倫をしていたこと、不倫を打ち明けたこと、私が全て悪いのは重々承知しております。
しかし、噂をひろめた人物は何も罰せられることはないのでしょうか。
私は今こんなに罪悪感に襲われ苦しんでいるのに、人の噂をひろめた彼女だけがこれからも何事もなく生きていくのがゆるせないのです。道連れにしてやりたいとすら思います。

しかし、男性側から誘われ、男性側から別れを告げられたとはいえ元不倫相手には申し訳ないと思っています。噂がどこまで広がっているのか、辞めてしまった私には分かりかねるのですが、裏で彼が面白おかしく言われてしまっているのではないか?と不安になります。もう連絡を取っていないため想像ばかりが膨らんでしまいます。

自分の家庭の心配をしなくてはいけないのに、このようなことを考える私にどうか、何かお言葉をいただけないでしょうか。何卒よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

もちょっと単純に。

フツーに不倫ってペケですから。
ある意味犯罪ですけん。
私の犯罪をバラしやがったアイツも罰を受けろ見たいなことを言っているように思います。
不倫の罰で一人苦しんだってしょうがないです。
責任を取って、相手も自分も幸せにしてあげてください。
方法はご自分で考えて。
苦しみに浸り続けるのは一種の逃避・陶酔です。
そんなぐじゃぐじゃ言っている暇があればその倍以上に旦那さんを幸せにするエネルギーに使いなさいよ、と言いたいです。
人間にはキモいエネルギーがあります。
自分でもそのキモさを自覚することが一番いいと思います。
「ああ、私はまたこうやってネガティブ意識」「凹み意識で人のこころを求めようとしている」と、あえて考えてみると、そのキモい感情は断ち切れます。
※キモいというのは、あなたのことではありません。
人間にはそういうおどろおどろしい心情が備わっているということ。
それをいつまでも引きずり出していたら良くないし、みとっもないから、そんなものに縛られているよりはもっと人が幸せになれるように行動するべきではないでしょうか。
厳しいようですが、私なりの応援です。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

欲・怒り・怠け・プライドの結果は苦しみ

仏教では、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩や、煩悩に基づく行動は、すべて苦しみにつながると考えます。
噂を広めた人物が、噂話をしたときの動機が、欲・怒り・怠け・プライドであったなら、その人は必ず苦しみの結果を受けます。
友人の不倫をやめさせるためなど、慈悲の心に基づく行動なら大丈夫かもしれませんが、その人の動機は違ったみたいですしね?

もちろん、あなたが今その人を憎んだりするのも怒りの煩悩ですから、その怒りはあなた自身の苦しみにつながります。気にしない方がよいです。

なお、浄土宗のお坊さんが授かる十の戒めには、他人の罪を言いふらしてはいけないという戒めがあります。
また、お坊さんに限らず全ての仏教徒には、嘘をついてはいけないという戒めや、盗みをしてはいけないという戒めや、不倫をしてはいけないという戒めがあります。

戒め(ルール)は、人を縛り付けるための鎖ではありません。人を守るための鎧なのです。
あなたは不倫をすることで、鎧を脱いでしまった。(人生の守りが甘くなってしまった。)だから、他人が放つ悪意の矢に当たってしまったのです。
これからは気をつけましょう。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

願誉浄史 様
ご回答いただきありがとうございます。
私自身、人を恨み続けることは苦しいです。自分が全て悪いのに、誰かのせいにしなくては心がもたないのです。おかしいですよね。きっと面白おかしくある事ない事まで言われてるのではないかと怖くてたまらないのです。誰も傷つけず墓場まで持っていくつもりだったのに、自分でその誓いを破ったのですから自業自得なのですが。いつか、この苦しみを乗り越えられる日がくるのでしょうか。

丹下覚元 様
ご回答いただきありがとうございます。
厳しいお言葉、心に突き刺さりました。
人を恨んだところでどうにもならないこと、本当は頭ではわかっているのです。
危害を加えられたわけでもないし、今のところ私の家庭にも何も影響はないのです。ならば私はしっかり反省してこれから自分の家庭をしっかり守っていくことが償いになるはずなのに、つねに罪悪感と後悔、恨みの感情が押し寄せてきて何もできなくなってしまいます。早く気持ちを立て直さなくてはと思えば思うほど私がしてきたことがどれだけ罪深いことだったのか思い知らされ怖くなります。不倫などするべきではありませんでした。私は取り返しのつかないことをしてしまいました。こんな私でもいつか許される日がくるのでしょうか。

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