回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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寿命はありますが、延ばすかどうかはその人生き方にかかります。
まぁちゃんさん、こんにちは。
人には寿命はあります。それは生物としての定められた命です。どんな人も200歳は生きられません。肉体をどんなに丁寧に扱って生活しても120歳前後が限界といわれております。
でも多くの人はその寿命には達しません。肉体疲労の老化はもちろん、老化しなくとも病気や怪我でなくなる場合もあります。肉体は元気だったのに事故や戦争、そして自死で命をなくす事もあります。これは寿命ではありません。
たぶん、まぁちゃんさんの質問は「人の死は運命があると聞きますが、自死にも運命がありますか」という質問なのだと思います。
仏教は運命という考えは取りません。あくまでも縁起での延長です。自分と自分以外の今の生き方・動きによって未来の状況が変ると説きます。まぁちゃんさんの息子さんは悲しい選択をとってしまいましたが、その選択の結果は縁起によってこれから現れてきます。
仏さまは「命には無意味はない。必ず生まれる意義を持って生まれてくる。」と説かれます。息子さんの悲しい選択でも未来は悪い未来で終わるとは限りません。もしお母さんであるまぁちゃんさんが、息子の死を通して生きる意味を知って充実した人生をこれから息子の分まで送ったならば、息子さんの生まれた意義は生まれてくるのです。
辛いことですが息子さんの死を無駄にしないためにも、まぁちゃんさんがこれからの人生を充実させてください。息子さんのご冥福と共に、まぁちゃんさんお幸せをお祈りしています。合掌
様々ですから
拝読させて頂きました。
自死については様々なめぐり合わせによりそのように亡くなられたということかと思います。
それは外的な要因によって心の病を発症してその病によって死に至ることもあるでしょうし、周りの方々や環境によって精神的にも肉体的にも疲労困憊し、追い込まれてしまい死を選ばざるを得ない場合もあるとは思います。
また己の志しを貫き通し、強い主張や意志表示の為にその様な手段を選ぶ場合もあるでしょう。
作家の三島由紀夫やチベット僧侶の方々や昔の武士の生き方としてその様な表現もあったと思います。
ですから自死についても様々ケースがありますので、一概にひとくくりでは言えないとは思います。
ただ言えるのはその様なめぐり合わせによって、そうした避けられないご縁により死に至る事があり得るのだと認識することは大事かと思います。
それも寿命つまり与えられた生命と考える事もあり得るとは思います。
ねがはくは両親から授けられ多くの生命を与えられ、多くのご縁の中で育まれ生かされている私達ですので、共に寄り添い喜びも苦しみも分かち合いながらその与えられた生命を全うしていきたいと切に願います。
合掌
ちょっと【無記】っぽいかも…。
”自死も誕生の時から決まっていた寿命なのでしょうか?”
う〜ん、そうともいえるし、そうともいえないとも思います。
つまり結果論でしかないのでは・・・。
もしかすると、ちょっと【無記】っぽい内容の質問ですね。
はぐらかすような回答で申し訳ないです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
誕生日が命日になり、皆に寿命だったと言われ納得できずに質問させて頂きました。無記…そーですよね。お釈迦様でも回答されなかったんですよね。確かに結果論かもしれませんね
息子の死を通して生きる意味を考える…
生きる希望も未来も見えなくなった今
その意味を考えるのは難しい課題ですが
頑張ってみます。
ご回答ありがとうございました。
追記
回答ありがとうございます。
共に寄り添い喜びも悲しみも分かち合いたかったです。確かに色んな巡り合わせで避けれないご縁があったのかもしれません。
嘆き悲しみながらも違う道を選択してもらい寿命を全うしてもらいたかったです。