短気で我の強い自分が嫌だ
自分は我が強い上、非常に短気な性格で、仲の良い友人でも無いのに軽口を言われたり、少しでもなめた態度を取られると、すぐにカチンと来てしまいます。
友人にも「あまり気にせず流せばいいのに」とは言われますし、自分自身も「こういう場面は我慢して、私が大人になるのが正解なのだろう」とも思うのですが、どうにも自分が嫌な思いをさせられたのだから、それと同じかそれ以上、相手に不快な思いをさせないと気が収まらず、そうなってしまうともう、相手の揚げ足を取っては嫌味を言うようになってしまいます。
また、短気な上に我が強いので、例えばバイト先の上司の命令も、筋の通った理由付けがなされていれば気にならないのですが「こうした方がよいのではないか」と思ったことを尋ねた際、納得のいく理由が無く、頭ごなしにいいからやれと言われてしまうと「自分が絶対に正しい!」という思想に陥り、そうなるともう職場の人間とは非常に険悪な仲になってしまい、実際殆どのバイトはそれが原因で喧嘩別れになっています。
頭では「まだ入ったばかりの自分の視野は狭く、上司の視点から見た場合はこれが正しいのかもしれない」とも思いますし、実際に上司の行いが非効率的であったとしても、決して口答えはせずに黙々と作業をこなし、それで不都合が出た際にも嫌味や悪態を口には出さず、飽くまでも心の中に留めるのが上手い処世術というやつなのでしょうが、感情がそれを許しません。
更には一度嫌な思いをさせられたら相手に晴らすまで絶対に忘れない器の小ささ。極めつけはたかだかゲームの、それも本当にくだらない勝ち負けですらイラつきだし、かつ2,3時間は怒りが持続するという情けなさ。ここまでくると上に書いた事も10割全て自分に原因がある気がしてなりません。
本来争い事は好みでなく、色んな意味で起伏のない凪のような生活を送りたいと思っているのに、とにかく相手に舐められるのが嫌で、自分を認めさせるために些細なことでもマウントを取りに行き、無駄な喧嘩を売買してしまう自分が本当に嫌です。
ごく稀に、人前では決して悪態を漏らさず、常に朗らかなオーラと優しい笑みを浮かべているような人に出会います。
私のような人間が傲慢かも知れませんが、どういう姿勢で生活をすればこのような方々に近づくことが出来るのでしょうか。
大変な長文失礼致しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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《おい悪魔》を心がけて・・・。
〈自分自身も「こういう場面は我慢して、私が大人になるのが正解なのだろう」とも思うのですが、(中略)相手の揚げ足を取っては嫌味を言うようになってしまいます〉・・・これほど客観的に自分を見つめているのですから、「自己嫌悪」になる事はありません。
人は誰でも大なり小なり「自分中心」に考え・行動します。仏教ではそれを❝我愛(があい)・我執(がしゅう)❞といい、「間違いの基」だと説きます。それを克服していくことが、❝仏道修行・人生修行❞です。
あるお坊さんが《腹が立った時、しゃべってはいけない。深呼吸して静かにユックリと息を吐き出しなさい》とおっしゃっています。一度、やってみて下さい。もう一つ
「お」こるな
「い」ばるな
「あ」せるな
「く」さるな
「ま」けるな(自分に)
を常に心がけましょう。頭文字をつなげると《おい悪魔》となります。腹が立ったり、イライラした時、心の中で「おい悪魔、おい悪魔」と言って五つを思い出しましょう。チャント思い出せた時、少しは冷静になっているはず・・・。大丈夫!。あなたならできます。合掌