執着と怒りの感情を克服したいのですが
はじめまして。社会で生きる上で、煩悩、怒りを抑えることに悩み、仏様の教えを請いたくて相談しました。
私は会社で管理職に就いており、日々、高い目標や厳しい環境の中で成果を追求しております。私自身は、チームの成功と部下の物心両面での幸せを目指してますし、仕事の中で自らを律することで人格的な成長も目的としてます。
しかしながら、自分と同じく、責任感や努力を追求しない部下に対して、非常に厳しく接してしまい、結果的に望まない状態を招くことが多く、悩んでます。
人材難で限られた人数しかいないのに、それぞれの個性や考え方を受け入れた上で接し、部下の使い方を工夫しなければならないのに、妥協したり手を抜いたり、無責任な者を目の当たりにすると、厳しく追い詰めてしまいます。その結果、萎縮させ、さらに悪い結果を招いてしまっています。全員の成長や成功に執着するがあまり、許せなくなるのです。
私はなぜか、無責任だったり、妥協したり、弱音を吐いて背を向ける人間を許すことが出来ない感情が抑えきれないことがあります。向き合わせて自分と同じように克服させたい、そう思ってしまいます。そして、非常に強い怒りで厳しく接してしまいます。
アンガーマネジメントという怒りを抑える方法も学ぼうとしたのですが、怒りの本質が執着であり煩悩であるという仏様の教えに接し、仏様にすがろうと考えております。
質問なのですが、このような感情を克服するには、煩悩を捨てるには、どのようにして仏様の教えを乞えばよいのでしょうか?
お寺に通えばよいのか?南無阿弥陀仏と唱えるのか?何か高僧の書いた文献があるのか?どこから学べばよいかわかりません。
自灯明という言葉を聞いて、自分の道を照らし自分で歩けるようには心がけていますが、他人と関わる社会において、他人を許し受け入れることが出来ないことがあり、本当に悩んでおります。
お坊さん、助けて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拝読させて頂きました。
あなたが己を律して精進なさっておられることは大変尊いことです。
脚下照顧ですね。
どうぞ己自身の道を己の足元を確認してしっかりと歩んでくださいね。
同時に私達は仏様から見れば本当に愚かな儚い存在であることも自覚することは必要かと思います。
人に対する憤りはある面己の思い上がりです。
人に要求してもそれはムリです。勝手に自分の志向を押し付けていることに過ぎません。
その点はよくよく相手と自分を理解することが必要かと思います。
自燈明でも自らを燈火とするのですが、正しい生き方考え方を元として生きていく事が大切ですよね。
怒りや憎しみが出た時点でもうその道は誤りです。自らの煩悩に惑わされていることになりますから自燈明にはなっていませんね。
心を浄め平静を保ち、迷いの心を捨てるには座禅でもいいでしょうし、お念仏おとなえすることも良いかもしれませんね。
あなたがこれからご精進なさっていかれて、心清く迷いを捨てて、正しい法を燈火として健やかに生きていかれます様心より仏様にご祈念申し上げます。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
非常に染み渡る言葉です。己の思い上がりを、愚かさを省みて相手を理解するように努めます。こうして、仏様の教えをもとに、その言葉で諭されると、立ち止まり足元を見ることが出来る気がします。
怒りや憎しみが出たら、その道は誤りですよね。肝に命じて精進していきたいと思います。
まずは、座禅と読経を始めたいと思いました。
本当に、ありがとうございます。