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(長文)できない自分とうまく向き合いたい

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こんにちは、はじめまして

私は今年の4月からサービス業の会社員になったのですが、会社の方針ですぐに店舗の時間帯責任者になりました
分からないことばかりでアタフタしていた時期も一段落して、最近自分を振り返る時間が出来てきました

私は接客サービスの能力に自信があります
空気やその人の気持ちを読むことが人より得意なのだと思います
そしてアルバイトたちの指示だしや、皆を盛り上げるのも得意で売り上げを伸ばす方向に皆を引っ張っていくことができます
これもやはりそのときどきで周りを見る能力に長けているのだと思っています
何より接客の仕事は楽しくて、大好きです!

しかし、事務所でのデスクワークに関してはからっきしでして、ミスを何度もしてしまいます
指摘を受けたことをしっかり出来るようになると、今まで普通に出来てたことを確認不足でミスしたり…
データ・数字がしっかり見れてない、見落とし確認不足、責任者としての意識がまだ低い、など自分で問題点を改善しようと努力していますが、それでも出来ません
上司や同僚にいつも迷惑をかけてしまい毎日叱咤され、本当に申し訳なく、不甲斐ない自分に嫌気が差します

上司に相談すると私がやっていることもすごいことで、自分にはマネできないよと仰って励ましてくれましたが、私にはそうは思えず、接客サービスの営業はアルバイトでも出来ることだと思っています
結局接客サービスが得意なだけでは責任者としては不完全で、しかし不完全なまま私が責任者として仕事を続けることは周りに迷惑がかかります
人を察するのが得意な私は、迷惑に思われていることが分かってしまいとても辛いです
辛いのは今だけかもしれません、私が考えすぎかもしれません、しかし今後自分が出来る人になれるのかどうかも分かりません

仕事を辞めてしまいたい後ろ向きな自分と、諦めたくない前向きな自分がいます
できない自分とどう向き合えばいいでしょうか
長文すみません…客観的なご意見をお伺いしたくお話ししました


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ダメかどうかは上司が決めること

本当にダメなら、上司はあなたにそれなりの仕事をまわしてくれるでしょう。
上司と会社からクビと言われるまで、あなた自身が自分をクビにする必要はありません。

ミスって、本当に辛いですよね。
私もその気持ち、痛いほどわかります。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

得手、不得手があるもの

まさやんぐさん、はじめまして。

まさやんぐさんは、接客営業は得意だけれども、事務処理はからきしダメで上司に迷惑をかけていることが心苦しいのですね。

誰でも得手、不得手があります。
僧侶も全人格的に見えるかも知れませんが、そうではありません。あなたと同じように悩みを抱え、日々戦っているのです。

得意なことは、どんどん伸ばしていってください。あなたが天から与えられた才能なのですから。また、不得手なこと、苦手なことはできるところまでは努力してみましょう。どうしてもダメなら、誰かにお願いすることもできます。

苦手なことがあるからといって仕事を辞める必要はありません。苦手をどう対処していくのかを学ぶ場所が仕事です。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

自分というこのわたしは仕事しててもしてなくても24時間営業。

接客が得意ということは、素晴らしい能力です。
相手の心を理解する力に長けているのです。
その力を、自分に向けてみましょう。
(^。^)「お客様、いかがなされましたか?」
(T_T)「仕事、辞めたい、やめたくない。」
(^。^)「どちらかというと、仕事している時と、していない時とどちらがお好みですか?」
(T_T)「どっちも好き」
(^。^)「では、仕事している時と、していない時は、どちらがお客様ですか?」
(T_T)「どっちも私。」
(^。^)「では、仕事して手もしてなくても、お客様はお客様に変わりはない訳ですから、持ち前の接客スキルを活かして、凹んだ自分もヨイショなさって、気持ちを奮い立たせてみてはいかがでしょう?」
本当に自分に向き合うと、本当の声が出てきます。
接客も、人の心が感じ取れるはずです。
本当に満足を得られた人は、本当に幸せになれます。
ご自分の心の声に耳を傾けてみてください。
本当に、本当に、本当のところは、どうしたいですか?
何が辛かったですか?
どうすべきだったですか?
それで、やめるべきですか?
今後人生で同じような事が起こった時、どう対処すべきですか?
そういうことをスラリと乗り越え対処できる自分になりたいと思われませんか?
(^。^)お客様が今必要とされているものがハッキリされてくると思われます。
もし、ございましたら、改めてご質問頂いてもかまいません。
ご注文、以上でよろしゅうございますか?
またのオーダー、お待ちしております。(^。^)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

自分で自分をクビにしてしまわないよう、もう少し頑張ってみようと思います!
苦手を対処する勉強をするのが仕事、というお言葉しっくりきました
楽しいことばかりではありませんよね
ありがとうございました!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ