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夫が許す心を持てるようにするには

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46歳になる夫がイライラ、怒りを伴ううつ病になりました。
受診し服薬開始しています。現在仕事は続けてますが午前休むことが多くなりました。ネガティブな発言が多くなっています。

きっかけは2年程準備した仕事を、折り合いの悪い女性部下に渡されたことです。
でも以前から短気な気質と、個人的な感情で動く会社の組織とあわず半年に一度くらい何かあると家具を蹴ったり大きな声をだしたりしていました。寝たり半日するとおさまって反省していました。私に対する暴言暴力はないです。

性格的にやや思い込みが強く悪いことがあると自分よりも外部のせいにしやすいため、人を憎みやすくまた無意識にでも自分を憎んで現在の病気になったのではないかと考えています。
今後健やかに生活してもらうために人や自分を許すような心を持ってもらいたいと思います。どのようにささえていけばよいでしょうか?

怒っていないときは冗談もいいやさしくかわいらしいところもあります。夫婦仲は良いほうです。

地元のお寺の座禅会に連れて行ったことがあり、本人も気に入って行きたい気持ちがあるようですが、今は気分もかわりやすく行けていません。

クリニックの先生も忙しそうですし、このような質問をどこに相談していいのかわからずメールしました。なにとぞよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

坐禅をすることの中身をもっと明確に

坐禅とはただしずかに座っていればそれでOKとしてしまうような指導が多いですが、本当はご主人がどこに居ても24時間、シラフで明晰で、自分の思いを中心とした生き方にならないことです。フェイスブックで禅のページを開いていますので、関心があれば申請してください。
禅を学ぶといっても何をどうしていいのかわからない人も多いですから、具体的に何をどうすればいいのかが本人の中で明らかになれば、人生は心が軽くなると思います。

怒りっぽいというのはものに触れて自分の見を先立てているということなのです。
あらかじめの自分のこうしたい・こうあるべき・こうだろうが先にある。
その自分ルールが帽子のつばのように常に目前にあって、何をみるにも聞くにもであうにも、そこが先にわりこんでくる。
だから、自分の思うようにならんと腹が立つのです。
怒りを無くそうとするのであれば、怒りを無くそうという外のことをするんじゃないのです。
自分がものに触れたときの反応のあり方が変わっていくように、あらかじめの前フリとなっている自分設定・自己設定・自分ルールの解除からです。

ここでの回答は千文字です。
ここで私がもっとこたえたいのにという思いがあったら千文字じゃ伝えきれない。
だからって「なんで千文字なんだ。もっと一万文字とかにせんかーい(# ゚Д゚)」という自分ルールの押しつけをしたら腹が立つ。 👆そんな長くちゃ誰も読まない
誰でもそうです。
実に単純な道理なのです。
そういう自分に目を向けるような坐禅をするといいです。

先立つものはないか。
ものに出会う時に常に先立てているものはないか。
毎日新しい物事と出会っているのに。毎回その都度古い自分データ越しに物事を見ていたら当然、今日のその新しい出来事に対応ができるわけがないのです。
プライドが高そうなご主人でしょうから、やさしくグッドワイフな助言をなさってください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

こんばんは。

 パートナーとしてはつらいですよね。

 実は私もご主人と同じ症状とつきあっています。かれこれ10年くらいになるかな。今はずいぶん落ち着いてお薬の量も減ってきました。

 私のかかった先生は、怒りの気持ちは自分を守る防御だから、出てきて当然。出なくするように我慢してはいけない、とおっしゃっていました。ひとりの部屋で、大きな声で叫びながら要らない雑誌などを棒でバンバン叩いたりして破壊したりすると良いですよ、と言ってくださいました。
 私は上記のような事を試したり、気分転換に散歩に行ったり夜に飲みに行ったり、ガーデニングをしたりして回復してきました。

 お医者さんに通っている様ですので、お医者さんのおっしゃることをよく聞き、パートナーのあなたも症状をよく理解し、そっとしてあげることが、一番の支えかと思います。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

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