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生きる望みが持てません

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有り難し有り難し 27

私は、二十歳ごろから約30年間、生きるのが辛いです。今は、転職を繰返し収入も落ち生活も大変ですが、一流会社でバリバリ働いていた頃でも、生きる事に自分を見いだせていませんでした。こんなどうしようもない人生を歩み、こんな人格に成ってしまった醜い自分も好きにはなれません。
その為、死にたいと思う毎日です。しかし、死ぬ勇気が無い事と、子供を残して死ねません。どの様に考えてゆけば、前向きに生きて行けるのでしょうか。宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

考え方、捉え方、ものの見方を変える。

私もあなたのように、ああ、生きていてもつまらんと思っていました。
禅に出会い、考え方がガラリと変わりました。
あなたを苦しめているのはあなたの❝考え方❞❝思い方❞です。
安らかな生き方をしている人は、自分を苦しめません。
安らかな生き方をしている人は、悪い考え事を頭の中に運びません。
苦しみが心の中で生ずるというのは、自分を苦しめる心の動かし方をしているのです。
あなたは自分の思いで自分を責めていると思います。
そして、その状態は良くない、とは頭では分かっている。
でもそれをやめようとしないならば、それは陶酔の一種かもしれません。
悲劇のヒーロー、可哀想な自分、SOSを求めている自分が何となく心地よくなってしまっているのです。それを、まずやめる、断ち切る、怒りを持ってでも断ち切ることからです。
煙たい所に居れば、煙いことがわかるはずです。
煙たい気を吸い込めば灰を患います。
それでもそこに居続けようとするのは、自分の自我です。
まげられない自分の自我です。
まずは、自分のプライドを捨てることからです。
引っ込みがつかない自分を引っ込める為です。
悩み、苦しみ、陰鬱な状態に自分がとどまることを、❝やめさせる❞為です。
長期間の悩みとは、陶酔の一種です。
悩むことを❝選択❞しているのです。
まずは、そこに目を向けてみてください。
「事実」と「思い」の世界とは別物なのです。
事実に対して、自分の思いをMIXさせてはいけません。
思いは思い。事実は事実。別物です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

辛いのは永遠ではないし、無間でもない。

お子さんが成長するまでは経済的にも苦しいでしょうけど、同じ状況が永遠に続くわけではありません。
また、毎日が苦しい生活だとしても、24時間のうち、1秒も辛さに休止がない(無間)わけではありません。
辛い日々の中にも、身心を休ませたり楽しませたりする時間はあるはずです。
断片的なできごとを頭で編集して連続した動画にしてしまうと、辛さが倍増してしまいます。
1つ1つのエピソードは、別々のできごとなのです。
心は変化します。
永遠に絶え間なく辛い精神状態が続くはずはないのです。
安心してください、大丈夫、苦しみは、月を隠す雲のように、毎回必ず過ぎ去ります。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ