生きる望みが持てません
私は、二十歳ごろから約30年間、生きるのが辛いです。今は、転職を繰返し収入も落ち生活も大変ですが、一流会社でバリバリ働いていた頃でも、生きる事に自分を見いだせていませんでした。こんなどうしようもない人生を歩み、こんな人格に成ってしまった醜い自分も好きにはなれません。
その為、死にたいと思う毎日です。しかし、死ぬ勇気が無い事と、子供を残して死ねません。どの様に考えてゆけば、前向きに生きて行けるのでしょうか。宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考え方、捉え方、ものの見方を変える。
私もあなたのように、ああ、生きていてもつまらんと思っていました。
禅に出会い、考え方がガラリと変わりました。
あなたを苦しめているのはあなたの❝考え方❞❝思い方❞です。
安らかな生き方をしている人は、自分を苦しめません。
安らかな生き方をしている人は、悪い考え事を頭の中に運びません。
苦しみが心の中で生ずるというのは、自分を苦しめる心の動かし方をしているのです。
あなたは自分の思いで自分を責めていると思います。
そして、その状態は良くない、とは頭では分かっている。
でもそれをやめようとしないならば、それは陶酔の一種かもしれません。
悲劇のヒーロー、可哀想な自分、SOSを求めている自分が何となく心地よくなってしまっているのです。それを、まずやめる、断ち切る、怒りを持ってでも断ち切ることからです。
煙たい所に居れば、煙いことがわかるはずです。
煙たい気を吸い込めば灰を患います。
それでもそこに居続けようとするのは、自分の自我です。
まげられない自分の自我です。
まずは、自分のプライドを捨てることからです。
引っ込みがつかない自分を引っ込める為です。
悩み、苦しみ、陰鬱な状態に自分がとどまることを、❝やめさせる❞為です。
長期間の悩みとは、陶酔の一種です。
悩むことを❝選択❞しているのです。
まずは、そこに目を向けてみてください。
「事実」と「思い」の世界とは別物なのです。
事実に対して、自分の思いをMIXさせてはいけません。
思いは思い。事実は事実。別物です。
辛いのは永遠ではないし、無間でもない。
お子さんが成長するまでは経済的にも苦しいでしょうけど、同じ状況が永遠に続くわけではありません。
また、毎日が苦しい生活だとしても、24時間のうち、1秒も辛さに休止がない(無間)わけではありません。
辛い日々の中にも、身心を休ませたり楽しませたりする時間はあるはずです。
断片的なできごとを頭で編集して連続した動画にしてしまうと、辛さが倍増してしまいます。
1つ1つのエピソードは、別々のできごとなのです。
心は変化します。
永遠に絶え間なく辛い精神状態が続くはずはないのです。
安心してください、大丈夫、苦しみは、月を隠す雲のように、毎回必ず過ぎ去ります。