考えることが苦しいです
最近生きていることがつらいです。
食事をとること、楽しむこと、喜ぶことに対し罪悪感を感じます。生きていることのありがたさにとても申し訳ない気持ちになります。
とうとう夢の中で知らない人間に「死ぬ事は悪いことではない」と言われる夢を毎日見るようになり、自殺未遂を繰り返してしまいます。
両親から、生まれてきてくれた事への感謝の言葉や、どれだけ私を愛してくれているか聞くたびに心が悲鳴をあげます。祖母の介護をして祖母から感謝されるたびに罪悪感で涙が出ます。友人に化粧や容姿を褒められるたびに消えてなくなりたくなってしまいます。
どうして生きてることに罪悪感を感じてしまうのでしょうか?
自殺未遂をするたびに私の背中をさすりながら泣く母を見ることがつらいのに、生きることや喜ぶことをやめたくなってしまうのはなぜなのでしょうか?
死ぬ事は悪いことなのでしょうか?
乱文ですみません、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
良い悪いモラハラ
ンなもんモラハラですぜ。
「生きていることのありがたさを知らねばならない!」、「死ぬ事は悪いことではない!」こんなモン、どっちもモラハラです。何故こんなに苦しいのかって?そりゃあアナタ、自分で自分にモラハラしてれば苦しくて当たり前です。
考えるのが苦しいなら考えなきゃ良いじゃない!こうやって書くとアホみたいですが、アホっぽかろうとバカっぽかろうとお坊さんはクソ真面目に書きます。大切なことだから二重カッコで強調して書きます。『考えるのが苦しいなら考えなきゃ良いじゃない!』
お坊さん達は坐禅を習う時に「頭に1が浮かんだら1のまま放っておけ。2や3に膨らませるなと習います。ほらね?考えろなんて習ってない。んで、発句経という古〜いお経の中でお釈迦さまは「坐禅をすれば智慧が生じ、坐禅をしなければ智慧は滅する」と言い切っています。考えない坐禅をしないと智慧が消えてしまう!と。救いってそういうモンです。
そういう事をしましょう。
これはプラス、とかこれはマイナスとか考えない。そういう生き方を学びにお寺にいらっしゃい。仏教は楽に生きる方法です。ぜひ一度お近くの坐禅会へ。実際に脚を運んでフェイストゥフェイスで繋がりを持つことも、考えない方法を感じるために大切ですので。
生きる目的を持つこと。
尾瀬さん、こんにちは。
生きることが辛いのですね。
人間は動物と違い、子供をつくるだけの人生ではありません。それと共に自分は何のために生きているのかという別の目的を探す生き物なのです。多くの先輩たちがあなたのと同じ思いを持ちながら生きる意味を探してきました。
お釈迦さまも同じです。王子という物質的な幸せの中で心が満たされず、すべての名誉・財産を捨てて、生きる意味を探しそして悟られたのです。
尾瀬さんもそういう意味ではとても素晴らしい、お坊さんに相応しい素質をそなえていると思います。是非仏教を勉強してみてください。そこにはあなたと同じ悩んだ先輩の答えが書かれています。そこから尾瀬さんの未来が開かれると思います。ヒントがあると思います。もちろんお坊さんになるのもOK(笑)、ならなくても仏教を柱にすばらしい人生が遅れます。
がんばって!辛いときはいつでもご相談を。合掌
心の病の場合
尾瀬様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
考えないようにすることなど、人間である限り、なかなか難しいことではあります。
できれば、悪いことよりも、良いことを考えることで、悪いことを打ち消せるように調えて参りたいところとなります。
しかし、問題は、自分ではどうにもできないことである場合であります。
例えば、妄想性障害や統合失調症といった心の病の場合でございます。
この場合には、やはり適切な心療内科での受診・治療が必要となることもございます。
既にこのことに関しての医療機関に掛かっておられるのであれば、上記の事は必要ではないのですが、もしかして、と思われるところがございましたら(あるいは、セカンド・オピニオンも含めて)、ご検討を頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌