hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

人間とはなにか?

回答数回答 4
有り難し有り難し 90

人間は欲のかたまりです

真面目の人間

いい人間が損をする

欲深い人間は幸せそうです

わたしも煩悩があり

こいつらが裁かれないなら

わたしも欲のまま生きてみたい

と思います

この世の煩悩とはなんですか?

煩悩を捨てさったときの幸せと

欲だらけの幸せ

どっちが幸せですか?

幸せになりたいです

よくだらけでも

裁かれないと

なんでもありなんですか?

幸せになりたい


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

小欲知足

こんばんは。
いろいろ悶々とした思いがあるように見受けました。

質問形式で書かれていますが、( )の中のような感じでお答えすればよろしいでしょうか。

人間とは何か。
(欲にまみれた存在である。)

この世の煩悩とは何ですか。
(欲のまま動いてしまう人間だけがいい思いをしているように見えて腹立たしい。)

煩悩を捨てたとき、
欲にまみれた時とどっちが幸せか。
(欲にまみれることの方が幸せそうに見えて、いい人が損をしているように感じる)

裁かれないと何でもありですか。
(誰かが裁かなきゃいけない。なんでもありな世の中が納得できない。)

ところで幸せという言葉ばいつ頃できたのでしょう?

ブッダが使い始めた言葉でしょうか。
日本の僧侶が使い始めた言葉でしょうか。
明治以降の翻訳者がただ当てはめただけでしょうか。

そもそも、何かの犠牲の上に立っていない幸せは存在しないと考えております。

仏のものさし、判断基準は
誰かを裁くか裁かないかではありません。
欲を我慢するかしないかではありません。
周囲との比較を基とする幸か不幸かでもありません。

仏教は欲や幸せという執着を手放す教え。
周囲は比較の対象ではないという立場。

私もこの娑婆に不満はあります。
おかしいんじゃないかと思うこともあります。

ですが、相手を裁くことよりも自分を護り整えることを大切にしています。

私から見るとまだまだお若い身。
いろいろなことをその気になってなし得る時間がまだあります。

敵に目が行くのではなく、自分の味方や仲間を整えるための時間を生きてください。

人間とは考える葦と古の哲学者は言ってましたが、
心を問うだけでなく、体の声も大事にしてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

欲で不幸になる者 幸せになる者 安らかになる者

欲は悪いものじゃないです。
欲に使われてはダメです。
欲は使うものです。
幸せになるために使うのではなく、安らかになるために活用すべきものです。
それを菩提心と言います。
欲はあなたに与えられたエネルギー。
そのエネルギーの活用法はあなたにゆだねられている。
賢者は、それを自分の幸福のために使うのではなく、やすらいの為に使うのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

不満が少ないと幸せ

欲が増えると不満が増えるので幸せが減ります。
欲が減ると不満が減るので幸せが増えます。

周囲から見てお金持ちでも、本人が満足していないなら幸せではないかも。
ないものねだりは不満、不幸せになります。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

自分を生きる事しかできない

人は一生、自分を生きる事しかできません。人がどう生きているかは関係ありません。そこに裁きをどうのこうのとうのは、あなた自身があなた自身を苦しめる煩悩そのもの。
煩悩が無ければ、安心の世界。

どんなにものにあふれ財を成していても、煩悩がある人は苦しみます。
あなたは、あなたの修行をするしかないのです。

救われる道は仏道にあります。
ぜひ学ばれてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ