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人間とはなにか?

回答数回答 4
有り難し有り難し 49

人間は欲のかたまりです

真面目の人間

いい人間が損をする

欲深い人間は幸せそうです

わたしも煩悩があり

こいつらが裁かれないなら

わたしも欲のまま生きてみたい

と思います

この世の煩悩とはなんですか?

煩悩を捨てさったときの幸せと

欲だらけの幸せ

どっちが幸せですか?

幸せになりたいです

よくだらけでも

裁かれないと

なんでもありなんですか?

幸せになりたい

2015年11月7日 2:12

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

小欲知足

こんばんは。
いろいろ悶々とした思いがあるように見受けました。

質問形式で書かれていますが、( )の中のような感じでお答えすればよろしいでしょうか。

人間とは何か。
(欲にまみれた存在である。)

この世の煩悩とは何ですか。
(欲のまま動いてしまう人間だけがいい思いをしているように見えて腹立たしい。)

煩悩を捨てたとき、
欲にまみれた時とどっちが幸せか。
(欲にまみれることの方が幸せそうに見えて、いい人が損をしているように感じる)

裁かれないと何でもありですか。
(誰かが裁かなきゃいけない。なんでもありな世の中が納得できない。)

ところで幸せという言葉ばいつ頃できたのでしょう?

ブッダが使い始めた言葉でしょうか。
日本の僧侶が使い始めた言葉でしょうか。
明治以降の翻訳者がただ当てはめただけでしょうか。

そもそも、何かの犠牲の上に立っていない幸せは存在しないと考えております。

仏のものさし、判断基準は
誰かを裁くか裁かないかではありません。
欲を我慢するかしないかではありません。
周囲との比較を基とする幸か不幸かでもありません。

仏教は欲や幸せという執着を手放す教え。
周囲は比較の対象ではないという立場。

私もこの娑婆に不満はあります。
おかしいんじゃないかと思うこともあります。

ですが、相手を裁くことよりも自分を護り整えることを大切にしています。

私から見るとまだまだお若い身。
いろいろなことをその気になってなし得る時間がまだあります。

敵に目が行くのではなく、自分の味方や仲間を整えるための時間を生きてください。

人間とは考える葦と古の哲学者は言ってましたが、
心を問うだけでなく、体の声も大事にしてください。

2015年11月7日 19:40
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有り難し
おきもち

『壊してしまうのは一瞬でできるから、大切に生きてと彼女は泣いた』 という...

欲で不幸になる者 幸せになる者 安らかになる者

欲は悪いものじゃないです。
欲に使われてはダメです。
欲は使うものです。
幸せになるために使うのではなく、安らかになるために活用すべきものです。
それを菩提心と言います。
欲はあなたに与えられたエネルギー。
そのエネルギーの活用法はあなたにゆだねられている。
賢者は、それを自分の幸福のために使うのではなく、やすらいの為に使うのです。

2015年11月8日 22:34
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

不満が少ないと幸せ

欲が増えると不満が増えるので幸せが減ります。
欲が減ると不満が減るので幸せが増えます。

周囲から見てお金持ちでも、本人が満足していないなら幸せではないかも。
ないものねだりは不満、不幸せになります。

2015年11月7日 18:35
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有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

自分を生きる事しかできない

人は一生、自分を生きる事しかできません。人がどう生きているかは関係ありません。そこに裁きをどうのこうのとうのは、あなた自身があなた自身を苦しめる煩悩そのもの。
煩悩が無ければ、安心の世界。

どんなにものにあふれ財を成していても、煩悩がある人は苦しみます。
あなたは、あなたの修行をするしかないのです。

救われる道は仏道にあります。
ぜひ学ばれてください。

2015年11月8日 8:07
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有り難し
おきもち

「人間とは何」問答一覧

「欲」と「向上心」の違いは何ですか?

こんにちは。いつもお世話になっております。 人の人生において悩みの種となるのは、大抵が「欲」であると聞きました。 私も今まで、その「欲」によって何度も悩んで、落ち込んできたように思います。 しかしその「欲」と「向上心」の違いが最近分からなくなってきています。 例えば、私は絵を描くことが趣味なのですが、 自分の絵が評価を受けると、もっとここを工夫してたくさん評価を貰えるようにしよう、練習を頑張ろう、とたくさん努力するのですが、 いい評価が貰えなくなると落ち込んだりイライラしたり、自分を責めたりしてしまいます。 それを繰り返していると、何のために絵を描いているんだろう…という気持ちになってしまい、最後には絵を描くのが嫌になってしまいます。 絵に限らず、人間関係等もそうです。 もっと人間関係を広げたい、広げるために色々な場所に行ってみよう、もっともっと… それが大きくなり、疲れてしまうのです。 これは「向上心」が途中から「欲」に変わってしまったということですか? それとも私が向上心と思っていたことは向上心では無かったのでしょうか。 新しい場所に飛び込んで、どんどん前に進んでいくことはいいことだと思うのですが、 最終的にいつも悩みのタネになってしまうことがとても辛いです。 何かこのことについてアドバイスを頂けないでしょうか。

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回答数回答 2

人はなぜ全ての事に意味を付けたがるのでしょう?

最近、心理学に基づいた心の扱いについて学ぶ機会を得ました。 そこであったのが、人間は全ての事象に対し、何かしらの意味を付けたがる生き物なんだ、という事です。 確かにその通りだな、と思ったのです。 例えば 「あなたは笑うと可愛いですね」と言われた時に、 「笑わないと自分は可愛くないのか?」 「おっさんに可愛いなんて馬鹿にしているのか?」 「自分は笑っていないといけないんだ」 「あ、自分は可愛いんだ。ありがとう」 という様々な意味を付けると同時に反応が沸き上がる、という話です。 同じ言葉なのに、それを言う相手、それをいわれた状況、言われた自分自身、などから様々な意味が行われます、 事実は、「あなたは笑うと可愛いですね」と言われた。ただそれだけ、なのに。 質問は、なぜ人間はこんな存在になってしまったのでしょうか、という事です。 もっと単純に受け取ればいいのに。人はウソをつくからなのか? と思ってしまうのです。 人が意味付けする事に、「なぜ?」を持ち込んでもしょうがないのかもしれませんが。 その理由がもしあるのであれば、人がもっと楽に生きる事のヒントが生まれないかな、と思ったのです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

他人とは何でしょうか

子どもの頃から親、クラス、教師など他人と関わるのに疎外感を感じてきました。 その時の自分を表現したかっただけなのに、杭として飛び出れば、やっかみやいじめや、利用してやれ、無視してやれみたいな報復が待っており、世の中の大多数の他者とは分かり合えない、という思いが形成されました。 そういった「分かり合えない、わかってほしい」という思いと他者との関係は大人になってもたいして変わらず、そういった渇望に付け込まれて、やりがいの名の下にいいように働かされ、精神を病んで休職してしまいました。 自分が、他人と仲良くなるかどうかは別として森羅万象の相互関係性のなかで生かされていることは理解できます。他人の存在がなければお米を食べることすら不可能です。 それでもやっぱり、休職から社会に戻って人と関わるのが怖い。というか、自分の中に他人を位置づける場所がないのです。 他人と折り合えない、悲しい、深く傷つき、自分さえもそれを癒せない。ましてや外の世界に救いなんて無い。 また、わざわざ傷つきに戻るのだろうかと... そこで、そもそも自分そして他人とは何かということを考えています。 仏教では、自分さえも固定的な本質を持たない、相互関係性でその瞬間ごとに成立しているただの現象であると説いていますよね。 では、同じような原理で発生している「他人」、例えばジャンケンしようとして相手が何を出すのかすら観測不能なまでに隔絶された「他人」というものについて、仏教はどう説明しているのでしょうか? 教えてください。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

人間であることに違和感があるような者と話をして頂けます処は.

ネットにて、今、全く初めてこちらさまのご存在を存じ上げたばかりのところです。 「自己紹介」等の欄にお書きしました通り、私の中には、小学生の頃から、人間の傲慢さがどうにも許せない、ありえない、という思いが深く根を張っております。   このような感覚をもって、現世に人として生きていくことこそありえないわけで...  似通った感覚をお持ちの方がいらっしゃるのでは、と「引きこもり」の方たちの電話相談にはおかけしたことはあるのですが、私の話を一方的に聞いて頂くだけになってしまいました。  あまりにも恵まれた時代と環境に生まれ育った故の所産であることとは自覚しておりますが、この人間社会に長らえるには、自分の感覚を 鈍く鈍~く、何も感じないように... と、感性を抑え込むしかないようで...  現在、人類が いよいよ行き詰まっている、その大もとの根っこにあるものは、我々が、ほかの生き物たちを、日々、凄惨な生き地獄に突き落としている、その自覚さえなくなってしまっているという大問題であるとの思いが募っています。  ほかの生き物たちの激痛に思いをいたせない生き物の社会に、戦争がなくなるはずがない、とも学生時代から確信しています。    特に日本人は「わたしたち」という言葉には、あらゆる生きものたちを含む、という感覚が まだ残っていた(人が多かった)と思われますので、取り返しのつかないような焦燥感にも苛まれます。  西洋の、あのあまりにも人間中心の文化を思いますに.. (たかだか100世代も遡らない頃に) [人間は他の生物とは隔絶した、超別格の存在である] という理論を、きっちりと美しく構築しなければ、さすがに後ろめたくて生きにくくなってきたのだろうか? 我々農耕民族とは違って... などと考えています。  実際に困っていることは、少しは現世と関わりを持つべく、細々と活動していることの中に、[感性を抑え込]んでしまっては成り立たないことが大いに生じることとでございます。  このような者(自分を含め 全ての人間に非礼かと思われますので..)と話をして頂けますような場などおありでしょうか?  不遜なことを申すようですが、「世捨て人」「すきもの」などと呼ばれていた方々の中には、私の感覚に近いお方もいらしたのでしょうか..? ということも、一度お尋ねしたいと思っておりました。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

人間なんていないほうがいいのではないか

始めまして。 10月の初旬に巨大ハリケーンがハワイ島を襲い無人島が消えたというニュースを見ました。 その無人島は、ウミガメ・アザラシなどが暮らしている島です。 動物たちは生きていくことも厳しくなるでしょう。 今回は自然災害という形でしたが、人間の勝手でたくさんの動物たちの命や限りある自然が奪われています。 高価な鞄や服のために、たくさんの動物たちが生きたまま皮をはがれます。 無理やり繁殖させられた動物は、人間の勝手な価値観で優劣をつけられ待遇が変わります。 豚や牛、鳥、植物も人間のために命を奪われますが、日本の食料廃棄はとても多いです。 そのことを考えると心が痛いです。 人間なんていないほうがいいんじゃないかと思います。 お坊さんは、人間は存在してよかったと思いますか? 戦争をしたり、核実験をしたり、動物を殺したり、環境を破壊したりする労力と知恵を、地球を守ることに使ってほしいと思います。 私は菜食主義者ではないので魚も肉も野菜も食べますし、電気も使い原子の恩恵にあずかっています。 今できることは、必要なモノだけ買うこと。ご飯を残さず食べること。資源をリサイクルすること。 でもこんな些細なことが地球のためになっているなんて到底思えずに苦しんでいます。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

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