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人は死んだらどうなりますか。

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有り難し有り難し 23

タイトルの通り、人は死んだらどうなるのでしょうか。
よく、死んだら極楽浄土に行くというような話を聞きます。それは本当でしょうか。本当に天国と地獄はあると思いますか?
私は生きてる今が地獄のように思えることがあります。死んだらただ無の世界が待っているとしか思えません。それに、死後人の魂は輪廻転生するものなのですか?魂というのも正直よくわかりません。
また、ある人が自殺は人殺しだと言っていました。仮にそうだとして、自殺をしたらいけない理由はなんでしょうか?
私は、生きるのも死ぬのも本人が選んだんだしなぁと思ってしまいます。本当に極限まで追い詰められて、もうこれ以上は無理だ、と自殺したとしても、本人が選択したことであって、それは他人が責めることではないかと思います。
苦しみから救われるために、宗教があるのでしょうか。本当に南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行けるのですか?

私は時折夜中に、死についてあれこれ考えて、急に死をリアルに感じ、とてつもない恐怖が襲ってくるときがあります。
かと思えば、本当に心が疲れきって、すべてがどうでもよく思え、さっさと人生を終わらせてしまいたい時があります。
私の中で、怖い死にたくないという気持ちよりは、死にたい終わらせてしまいたいという気持ちが強いです。けれど、死んでしまいたい等と言うと、親には物凄く怒られ、友達にも説教されてしまいます。
私は現在、至って健康ですし親にも友達にも恵まれいじめられてもいません。大学にも行かせてもらい毎日充実しています。周りの皆には感謝することばかりですし、当たり前ですが死んでしまいたい等と言っていい身の上ではないのです。
それに、人間いつか死ぬんだから今じゃなくてもいいんじゃない、と思うかもしれません。私もそう思います。けれど、どうしても早く全てを終わらせてしまいたいという気持ちが拭えないのです。

この気持ちはどうすれば無くなるでしょうか。気持ちを消すなど浅はかかも知れません。けれどそれならば、どうすれば生きたいと思えるのでしょうか。
最初の質問からずれてしまって申し訳ないですが、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大自然へと還っていく

昔の人は、人の死を「土に還る」という表現をされました。

お釈迦様は「諸行無常の理」を悟られました。

私達人間はどうしても「言葉」でものごとを考えますので、表現が難しいのですが、

水をコップの中に入れて放っておくと、いつの間にか水は「無くなって」いますね。
でも「水」という存在が無くなったわけじゃなく、気化して気体として空気中に漂っているわけです。
「水」という状態から、「水蒸気」という状態に変化しただけです。

この世の万物のものは、決して無くならない。その状態が変化していくだけです。
言い換えれば、この世の万物のものは、また元の状態や別の状態に還っていく。

私達人間が死んだら、この私達の「身体」は火葬場で荼毘に付され、煙や塵として、そしてお骨として、また大自然へと還っていきます。

ここからは宗教のお話になりますが、
私達の「心」や「思考」が生み出したとも言える「いのち」というものが、もし存在するのであれば、「いのち」もまた決して無くなることはない、また還っていくだけ。
その還っていく場所が「お浄土」である、と「私は」味わっています。

死んだらどうなるのか?

この問いに正解はありません。
100人いたら100通りの回答があってしかるべき問いです。

もし、じろうさんがこの問いに悩み・苦しんでいるならばこれも何かのご縁。
ぜひ仏教を学んでみてはどうでしょう?

普段私たちは、自分の知識や理性、常識に照らして、ものごとの価値判断をしていきます。
要は、自分の考える事は正しいと、自分をあてにして生きているわけです。

仏法を学んでいくにつれ、そのあてにしている自分の心や思考がいかにたよりなく不安定なものか、気付くことが出来るかもしれません。

「人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」

いつしか、この言葉がじろうさんの心に響く日が訪れることを願っております。

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有り難し
おきもち

より善く生きていくために死後のことを知るのも

じろう様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まあ、死後のことをどうしても知りたいとなれば、知れるだけのことは知ることにより、今を無駄にせずに大切に生きる上でも重要なことであるかと存じております。

宜しければ、下記の二点をお読み頂くことで、疑問のほとんどもある程度解決することができるのではないだろうかとも存じます。

より善く生きていくための智慧として頂けましたら有り難くに存じます。

ただ、かなり難しいことも書いてございますから、また分からないことがあれば、個人的にも、hasunohaでも遠慮なくにご質問下さいませ。

「チベットの生と死の書」(講談社文庫)ソギャル・リンポチェ大師著/大迫正弘氏訳・三浦順子氏訳

「ゲルク派版 チベット死者の書」(学研M文庫)ヤンチェン・ガロ大師/平岡宏一先生訳注

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

有難うございます。
この2年間、考えてみましたが、まだふわっとした部分しか掴めていません。
それどころか考えれば考えるほど分からなくなります。
いただいたお言葉と、本を元にこれからも考え続けたいと思います。
有難うございます。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ