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離婚は仏道に反しますか

回答数回答 2
有り難し有り難し 47

お世話になっている、仏教系の心理カウンセラーさんがいます。そこでは、DVや生活費を入れない人などを除いて、ノーマルな人間同士の夫婦であれば、自分の考えかた次第で素晴らしい人間関係が築けます。と教わりました。
仮に私が、夫に不満を抱き、いま離婚したとしても、また次の白馬の王子さまを探す旅が始まるだけ。無駄な輪廻をいつまでも繰り返さないようにしましょう。と教わりました。

いま、私は夫との関係に悩み、離婚を考えていますが、仏教の教えと、自分の気持ちとの板挟みで苦しいです。

夫は我が強くて、夫の正論のまえには、何を言っても無駄です。
ケンカになると、私の主張も夫の主張も、お互い相入れません。
夫の協調性、親切心が、私にはとにかく薄くて、これ以上私は無我でいるのが、苦しいのです。

仏教では、性格の不一致では、離婚はタブーなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「とどまらない」と、しることが仏教の教えです。

仏教としてみるならば、
「とどまらない」ことこそが教えの元と心得ます。

夫婦であってもいつかは別れる。
それが死別になるか離別になるかは、それぞれの
めぐりあいによるものです。

ですから、離婚が仏教においてはタブーだ、
ということはないとわたしは考えます。

わたしが大事だとおもうのは、どのような道を
選ぶにしろ、その道は自分自身を磨き、こころを
高めるものだとして、しっかりと歩むことだと
思います。

あなたは旦那さんの人生の一部ではなく、
あなたの人生をあなたが歩いているのですから、
あなた自身を磨き、すてきな人を目指して生きることです。

その裏付けに仏教があるのでしょうし、
あなたのこころを磨く道具、たとえばお寺や仏像、お経が
あるのだと存じます。

離婚の道に進むも、継続の道に進むも、どちらにあっても
変わらぬものである「とどまらぬこころ」を見つめ、
ご自身を磨いて、すてきなひとになれば、わからずやさんに
こころをとられてしまうこともありません。

そしてそれこそが、あなたが「さいわい」になっていくための
道になるのです。

自分の幸いへの道はあなたが作りあなたが歩くものです。
わたしたちは、あなたが幸いの道を歩まれることを祈るものです。
さちあれ。さちあれ。

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ご自身のお幸せを第一に

愚拙が思う仏教の目的は心の安寧、
幸せになることです。幸せこそが目標であり、
かつ守るべきものではないでしょうか?
宗派によっては厳しい修行を通じて、
悟りといいますか、成道をめざします。
浄土真宗や浄土教では、
阿弥陀さまが救ってくださると説きます。
いずれにせよ、目的は悟りを開く、仏様になることです。
毎日、毎日、辛い思いをしれてお幸せですか?
幸せを探すことは、人としてこの娑婆世界に生きる者の、
使命ではないかと思います。
ただ、同じこと繰り返さないようにご自身を顧みる。
相手は変えられませんが、ご自身は変われます。
青い鳥を探していいんじゃないですか?
今度は、反面教師として、我を張らない、
人の話はよく聞く、人の意見を受け入れる。
そういう視点で、自分も顧みて、
相手もそういう方を探したら如何ですか?
タブーというらば、無理に無理を重ねることがタブーかと。
よくよくお考えになって幸せになってくださいね。
お幸せを祈っています。
南無阿弥陀仏

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
同じ仏道に生きるかたでも、そういったご意見をお持ちなんだと、アドバイスありがたく、少し肩の荷がおりました。
自分の気持ちを大事に考えたいと思います。

ありがとうございます。
どんな道をいくにしろ、自分を磨き高めるものとして、に心響きました。
自分の心に素直になってよいのかなと思えました。
今一度、自分はどうしたいか考えたいと思います。
ありがとうございました。

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