友人の愚痴を聞くと苦しくなってしまう
常に重い問題を抱えた友人がいます。
もう10年以上の付き合いで、ずっと側で悩んでいる姿を見てきました。
友人には安寧のタイミングがありません。
週に何度も届く愚痴か相談かと言ったメッセージや月に何度かの長電話に、ずっと付き合ってきました。
私自身も悩みもあるのに、ふと思い浮かぶのが自分のことではなくその友人のことなのです。
悩みを解決する手助け(ガス抜き)はできたのだろうか?
この間の電話の返しは合っていただろうか?
苦しんでいないだろうか?
次はどんな話を聞かされるんだろう?
また愚痴だろうか?
やっぱり解決の手助けはできなかったんだな…
というような具合に、脳内が友人のことで支配されていきます。
自分のことをやりたい、やらなきゃ、と思うのに、友人のことばかり考えてしまいます。
最近では友人からのメッセージや電話が怖いです。
いつ次が来るのだろう?と思うと、心が休まりません。
いつも『次』に怯えています。
かつてその友人に「三百は冷たい人だね」と言われたのが心に引っかかっていて、必要以上に考えすぎているのは理解しています。
しかし、少しでも突き放したり受け流したりすると友人が傷つくのではないかと思って、行動できません。
受け流すのが辛い(友人の話はきちんと聞いて一緒に悩みたい)から控えて欲しいというのは私のわがままでしょうか?
また、常に重い悩みを抱えている相手に対してどんなタイミングでこちらが辛いことを伝えていいかもわかりません。
周りのことに悩まされている友人に、自分の悩みを押し付けるようで心苦しいのもあります。
この友人と今後どう付き合って行けば良いのでしょうか?
具体的にどうすれば友人を傷つけずに良い距離を保てるのか、もしくは今は傷つけたとしても後に良い結果を招くことができるのか、何かアドバイスを頂けたら幸いです。
長文に目を通していただきありがとうございました。
どうぞよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ぜひハスノハを紹介してください。
あなたの負担が少しでも軽くなれたら幸いです。
また、その人の相談に答えを出す必要はありません。ただ聞いてあげる、それだけでもいいと思いますよ。
私も悩みは聞きますが、解決策を教えることなど愚かな私にはなかなかできません。ただ聞いてあげる、知ってあげる、それしかできないことが多いのですよ。
その友人と縁を切ることはできないでしょうから、せめてたまには違う話題でお話できたらいいですね。
追記
あなたが思い上がっていると思ってはいませんよ。
また、あなたは何も悪くないですよ。
ただ、あなたはプロのカウンセラーではありません。
私たちお坊さんも同じです。
だから、ハスノハではたくさんのお坊さんが対応しています。
それと同じで、あなたの友達の悩みや愚痴をあなた1人で対応することは、とても大きなストレスになります。耳にタコができるし、進展しないことにイライラするでしょう。
ですから、あなた1人で対応しなければならないとか、聞かなければならないとか、責任感に押しつぶされないで、他の人と負担を分担する必要があるのです。
必ずハスノハをご紹介くださいね。
「なんか、最近お坊さんに相談できるサイトが流行ってるみたいよ、○○ちゃんも何か書いてごらんよ〜。面白いよ」
という感じではどうかな?
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
結局のところ、私が悪いということですね。
私も友人の悩みを解決してあげたなどと思い上がりたいわけではありません。
話を聞くことすら辛い自分が情けなくなります。
私自身が何を聞いても辛くないと思えるようにならなければ解決しなそうですので、まだまだ長く時間はかかりますが、友人に向き合って行きたいと思います。