寺院の変化
かつて寺院はどんな小さい地区にもあり住民の中心の存在であったと思います。
そしてそこでは信仰のほかに住民の学び、憩い、集い、経済そして避難の場所としてとても大切な場所であったと思います。
だからこそ寺院そして仏教が身近なものであったと思います。
しかし今の寺院の多くは葬式などの儀式だけの場所となってしまっていると思います。でも私はいまでもたくさんの人々が仏教の生きた言葉と働きを求めていると確信しています。だからこそ時代に即した形で寺院が変わり、再び人々が来やすくなる場所になる努力をしてもよいのではと思います。
僧侶の皆様も努力されていると思いますが、どうお考えでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そのような志を持つお寺が結集しつつあります。
社会の変化
おっしゃる通りと思います。
私はこのhasunohaを通して、寺院や仏教が身近になって欲しいものと思っています。まただからこそhasunohaで回答を続けています。
さて、かつては、会合をしたりイベントを開くことのできる広い場所はお寺しかありませんでした。ですからお寺が信仰と共に人の集まる場所になっていました。
今はどうでしょう?会合をやるなら「あの店で一杯やりながらにしよう」とか、娯楽でも、映画館やコンサートホールなど立派な建物ができ、カラオケボックスができ、パチンコ店があり、人が集まることができてもっと楽しい場所が他にいっぱいできてしまいました。お寺の「人の集まる場所」という役割は終わったのかもしれないと考えています。また目新しい事をして人を集める事が果たして信仰につながっていくのか、と疑問を感じているのが私の考えです。
でも悲観しちゃいけない。これからのお寺は、信仰の場としてお寺の人(僧侶など)が参拝者ひとりひとりに向き合う姿に変わっていくと考えています。例えば今、「ご朱印」がブームになっています。「スタンプラリーだ」と批判の声もありますが、様々な人がお寺に来て、ご本尊さまを拝み、境内の空気を吸って、心が安らいだ表情を見ると、現在のお寺のあるべき様子がここにあるのではないかと感じます。これからはもう一歩進んで、ご朱印やお参りに来た方ともっとお話をしたりできるようになるといいなぁと思っています。そういう意味では時代に即すような努力をしていると思います。
ご意見ありがどうございます!
おっしゃる通りです。
二の句がでません。
お寺はだれのものでもありません。
みんなのお寺です。
育の場、学びの場、
信心を通じて僧侶を含めて、
関わる全ての人々に、
心の安寧を与える場だと思います。
しかしながら現実にはー、
儀式の場、葬儀中心にお寺に
なっているとのご指摘ごもっともです。
他方、お寺の維持管理には、
多額の費用を必要とします。
そうしたら費用を賄うためには、
どうしてもお布施にたよらなければ
ならない懐事情もご理解ください。
愚拙は、できる限り、
本来お寺が果たしてまいりました、
社会的機能であります、
寺子屋、フリースクール、勉強会
駆け込み寺、シェルター
の機能を果たすべく、
心を新たにしてまいりたいと
思いました。
ありがとうございました!
南無阿弥陀仏