子どもとの向き合い方
どうか、智慧を御貸しください。
私は本職にて今現在、放課後の小学生を預かり見守る仕事をしています。
平日は利用児童が100人を越え、それを8人の職員で見守るといった感じです。
子どもですので、喧嘩やトラブルがあります。
その際は職員が原因を追及し、仲裁します。
子ども同士のトラブルもそうなのですが、大人(職員)を困らせるような子どももいます。
迷惑をかけた、困らせたことを自覚させるために時に叱る必要もあります。
声を荒げて注意する職員方もおりますが、その光景を見るたびに私は心が痛み、自己嫌悪に陥ってしまいます。
子どもとはいえ、人間です。根底にあるものは皆同じだと信じています。
それとも、「子どもだから…」と割り切って接するのが正しいのでしょうか?
今の私には子どもを支援する立場として、あるべき姿、心構えがわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
理想も妥協も必要で、複数回答でもいいんです。
ご相談読ませていただきました。
たくさんの子供たちのお世話をする大変さ、お察しします。
私も子育て経験はある程度ありますが、我が子のことであってもなかなか思うようにはいかないものです。
仕事として多くの人に関わる場合、合理性を考えれば、ある程度はマニュアル化したり、指導方法を統一した方が、効率よく業務はこなせるかもしれません。
ですが、私も「子供たち」という言い方をしてしまいましたが、みんな一人一人、違う人間なんですよね。
仏教では対機説法という言い方があって、同じ物事を説くのであっても、その人に応じて、その人に適した教え方に努めます。
優しさを以て教えを説く菩薩さんもいれば、恐ろしい形相で厳しい姿を見せる明王さんもいるわけです。
理想を言えば、一人一人の行い、一人一人の問題に向き合って、それを解決していけるといいのでしょうが……。
しかしやはり現実的には、限られた時間、限られた人員では、できることに限りがありますよね。
こうしたい、という思いはあった方がいいでしょうが、それにこだわりすぎて自分の心身を擦り減らしてしまってもいけませんし。
子供たちとどうやって向き合っていくのかを考える中で、やれることは色々とあるかもしれませんが、あまり自分に無理のない範囲で、ということもひとつ心に留め置いてください。
そして、どういう教え方がその子に向いているのかな、ということを考えるのも大切ですが、ウーロンさん自身が、どういう教え方をするのが向いているかということも考えてみましょう。
職員さんが何人かいて、全員が同じやり方でなくていいわけです。
厳しい方もいれば、優しい方もいる。
色んな人がいるという環境自体も、子供たちにとっていい経験でしょう。
子供を育てるに、これが正解というものはありません。
その子たちの親や、あるいは学校の先生も、悩みながらやっているはずです。
自分に合ったやり方を模索しながら、ウーロンさんなりにやっていけばいいんじゃないでしょうか。
子供との関わり方の正解が一つだけではないように、職員さんのあるべき姿勢というのも、一つだけではないと思いますよ。
彼らにもしてほしくなかったことがある
人間というのは本当に正直な生き物です。
正直な気持ちだからこそ、嫌う、ケンカもする、泣いたり、嘘もつく。
「本当はこうしたい」ということがだれにでも根底にあるのです。
あなたもみんなには仲良くしてもらいたいという気持ちがあるはずです。
ところが現実の現場の実際の子供たちは大人が思っている以上に凄惨で事故や事件が絶えません。
子供たちの喧嘩に対しては、子供たちのケンカであるのにも関わらず「大人が」「大人のルール」で入り込んでしまうことがあります。
それは子供たちは正直ですから、大人たちの一方的な仲裁では納得がいかないこともあり、後々尾を引くこともあります。
あくまで主役は子供たち同士。
彼らは子供であっても、大人と同じです。
面白くないことは面白くない。
おかしいことはおかしいと思っているのです。
どうぞ、大人のルールを持ち込まずに、子供の心になりきってどっちの見方もせずに公平な裁判官となり、さらには「導き先」を持ってください。
どんなに険悪な人間同士でも、導き・導かれゆくべき先はあるはずです。
還るべきところと言ってもよいでしょう。
導かれるべきところ、還るべきところは大人も子供も同じです。
子供だからという姿勢にも「見下し」姿勢もあれば「尊厳を認めた」姿勢もあります。
子供は若い大人です。尊厳は同じです。
みんなが笑顔で安心して暮らせるように、上下のない姿勢で接してあげてください。
お釈迦様のように「万人の友」となるべく、大人のルールをあまり押し付けないように子供でも素直に聞き入れられるように接してあげてください。合掌
大人も子ども同じです
ウーロンさま、こんにちは。
<<子どもとはいえ、人間です。根底にあるものは皆同じだと信じています。>>
まったく、おっしゃるとおりだと思います。
私も最初は、大人は大人、子どもは子どもであると思っていました。しかし、仏教にふれて、仏さまや菩薩の生き方をみて、
人は誰しも、悟るまでは、みな子どものようなものなのだ
と、知りました。
そして、相手が子どもだからと言って軽んじることなく、ひとりの人間として誠実に対応しようとすることが、「大人であろうとすること」だと思います。「大人であろうとすること」はそのまま、「仏であろうとすること」と同義になります。
相手を、いわゆる子ども扱いをして、思ってもいないことばで叱りつけて自己嫌悪になるのであれば、やはり、ウーロンさまなりの誠実な接し方を模索されるとよいと思います。それが、子どもに、いわゆる大人、の誠実な姿をみせることにもなりますし、なにより、ウーロンさま自身の心を守ることにもなります。
対応に悩んでも大丈夫です、その悩む姿も、子どもはありのままに見ています。失敗したり後悔したりすれば、謝ればいいのです。「失敗したり、後悔したときは、ウーロン先生みたいに謝ると善いんだなぁ」と、子どもが知るきっかけにもなります。
そして、そのウーロンさまの対応次第では、ほかの大人たちも変わりえますし、それはやがて、教室に、そしてその学校や地域に、よい雰囲気をもたらす貴重なご縁にもなりえるのです。ウーロンさまと同じことで悩む大人は、過去にもたくさんいましたし、現在もたくさんいますし、これからもたくさんいるのです。ですから、ウーロンさま、ご自身のためにも、子どもたちのためにも、大人たちのためにも、しっかり精進してくださいね。
ファイトです!
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
一人一人違う人間だからこそ、一人一人に合った接し方があり、一人一人に尊厳があるということがわかりました。
みんな違ってみんないいんですね。そしてそれを受け入れてあげることが大事ということでしょうか。
大人側も、優しい大人、面白い大人、恐い大人、色々居て当たり前で、それが子どもたちにとって経験になるというのも納得できます。
子どもと接するときは、ありのままを受け入れることで自ずと答えは出てくるのでしょうか。
心が軽くなりました。この度は相談させていただき、ありがとうございます。