日々の生活
休みの日は、一日中ゴロゴロして過ごしています。仕事の空いた時間も自宅で横になって、寝ています。一人になり話し相手もいないので、嫌になります。この先もこんな生活を続けていくのだと思うと、この世からいなくなりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人の役に立つ事が実は自分の喜びにつながる
こんばんは。
何もしないときは横になりたくなるものです。私もする事がないときは横になってます。
私はお坊さんで、ボランティアで消防団に入っています。
私は人が亡くなるのもイヤだし、火事だって嫌いです。
でも、先日妻から「あなたはお葬式や火事があるとうれしそうに出かけるねぇ」とイヤミっぽく言われてしまいました。お葬式も火事も悲しいことです。うれしいはずがありません。でもなぜそのように見えてしまうのか自分で分析してみたら、「人の役に立つ事がうれしい」と感じている、という事に行き着きました。身近な人が亡くなり、ご遺族と一緒に悲しんだり故人を安らかな気持ちで送り出して差し上げる事ができるのが僧侶としての役割なんだ、とか、火事がおこって、それを一秒でも早く消してあげたい、それができるのが消防団なんだ、などいう気持ちが、妻の目からは「うれしそうに」見えてしまうのかなぁ、と思いました。ここの回答をしている様子も端から見たら「楽しそう」に見えるかもしれませんが、実際は大変な作業なんですよ。いい答えが思いつかなかったり、文章が書けなかったり、目がショボショボになったり、とても大変です。でも、質問者さんのお礼の言葉にはげまされ、頑張って答えています。
何が言いたいかというと、人は人の役に立っていると思っているときに、やりがいや幸せを感じるのではないか、という事です。ボランティア団体に入るでも良いですし、ひとりで道路のゴミ拾いをするでもいいです。何か人の役に立つような事をしてみてはいかがでしょう?私もそうですが、新しい事を始めるのは腰が重たいものですが、自分の活動によって人が喜んでいる様子を見ると、だんだんやる気がわいてくるものです。何でもいいです。得意分野で人の役に立ちそうな事をやってみましょう。
質問者からのお礼
光禪様 いつも回答ありがとうございます。障害者のボランティアは以前行っていましたが、いろいろあり外されてしまいました。日々の気持ちの浮き沈みがあり、なかなか生活が大変です。