ひとりぼっちの誕生日
今日は生まれて初めて、家族とも友達とも恋人とも会わない、ひとりぼっちで過ごす誕生日です。誰からも全くお祝いの連絡が来ない寂しさに飲み込まれており、お坊さんとお話ししたくて投稿します。
誕生日は、高校までは家族と過ごしました。高校卒業後は一人暮らしになりましたが、恋人がいれば恋人に、いなければ友達にお祝いしてもらっていました。
いまは環境が変わり、気軽に会える距離に友達がいません。また家族仲は良いとは言えず、実家に帰るとぎくしゃくしてしまいます。更には長年お付き合いしていた恋人にも先月振られてしまい、喪失感が大きいです。あんなにずっと一緒にいたのに、今はもう連絡も取っていません。
いまの私は、ひとりで生きていくことが怖いのかもしれません。特に恋人に振られたばかりで誕生日という節目を迎え、今後もずっとひとりなんじゃないかと、その怖さがわかりやすく現れてきているんだろうと思います。
ひとりでいる寂しさがある一方で、誰かと一緒に過ごそうとする行動力の無さも痛感しています。本当に一人が嫌なら家族と話し合ってでも実家に帰るとか、新しい友達を作りに外に出るとかあるのに出来ないんです。今までの友達の誕生日を、毎年覚えてお祝いしてあげるようなマメさもありませんでした。こんなんでは一人になって当然でしょう。
自分で自分をお祝いしてあげる、というのもなんだか抵抗があり、普段どおりの一日を過ごすつもりです。恋人など誰かを祝うためならお金を出せますが、自分のためとなると余計な出費に感じてしまい、だったら貯金したいと思ってしまいます。
寂しさと上手に折り合いをつける方法があれば、どうか教えてくださいませんか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『阿弥陀経』からのプレゼント
はじめまして。亀山純史と申します。ばんさん、お誕生日おめでとうございます!私からは、『阿弥陀経』の一節をプレゼントしましょう。
『阿弥陀経』には、「東方の世界では、ガンジス河の砂の数ほどのたくさんの諸仏がおられ、それぞれが三千大千世界のすみずみに わたって、極楽の素晴らしさを説かれています。また、南方の世界でも、西方の世界でも、北方の世界でも、下方の世界でも、そして上方の世界でも、ガンジス河の砂の数ほどのたくさんの諸仏がおられ、それぞれが三千大千世界のすみずみに わたって、極楽の素晴らしさを説かれています。」と説かれています。あなた一人だけの誕生会ではありませんよ。仏さま方が、みんなであなたの誕生をお祝いして、極楽浄土の素晴らしさをお説きになっておられます。
寂しいと思っても、あなたを想ってくださる方は必ずいますよ。
誕生日おめでとうございます。
ところで、お釈迦様は6年間ほとんど一人で修行し悟りに至りました。自分を見つめ直すには、時には一人になることも大切なのです。今回の誕生日はそういう時と思って過ごされてはどうでしょうか。
また、誕生日とは生まれた人を祝うだけではありませんよね。産んでくれたご両親に感謝する日でもあります。お父さんと産んでくれたお母さんにありがとうと心の中で感謝しましょうね。
質問者からのお礼
亀山純史さま
お返事ありがとうございます。プレゼントのお言葉、大変胸に染み入りました。
私の周りにもたくさんの仏様がついていて下さると思うととても楽になります。
三宅聖章さま
お返事ありがとうございます。両親に感謝する日、確かにその通りですね。一人で過ごすことにも意味がありそうです。自分を見つめ直してみます。