亡き父
初めまして。父は若年性アルツハイマーを患ってましたが母は働きながら(少ない給与で父の年金と合わせて質素に生活)父の面倒を見てました。母の知らない所で父の姉が動いて住民票を移動し年金の入る口座をかえ母は怒り離婚しました。
兄と私で離婚理由を作った叔母に会い今後、父の面倒を見ると言う約束をさせましたが父の病状悪化(暴力)を伴い父を引き取れと言い出しかなりもめました。私と兄も父と母を別れさせる原因を作った叔母が許せないのと父を引き取れる現状になく弁護士の書面にて断ると結局、父は強制入院する事になりました。
私は父の事を忘れた事もありませんが介護拒否は捨てたも同じと思っています。
父の入院先を調べ叔母に見つからないように面会に行く計画を1年以上も内密に練ってる矢先に父の訃報を叔母の息子(従兄)から連絡があり知りました。
今月の5日に父は他界しました。従兄の計らいで通夜葬儀に参列し遺骨もしっかり拾う事もできました。
離婚してなければあんな寂しい通夜と葬儀になってなかったのにと無念であり私の父に会いに行く計画の遅さにも後悔してます。
父が会えてない孫に会わす事も出来ず何をするにも父への後悔ばかりです。
兄と旦那が葬儀のお経中に祭壇に掛けられてた南無阿弥陀佛の上の電気が点滅したと言ってました。この意味はなんでしょう?
私は自己中で恩を仇で返す娘なので父は怒ってるだろうなと思います。葬儀中ずっと私の首をつまんでる状態がありました。生前、父は私によく猫掴みをよくしてたので。
父への後悔や謝罪は死後ちゃんと伝わるのでしょうか?
孫に恨みを持たないでしょうか?
文が纏まらず読み難く申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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供に養う
初めまして。お父様のご命終に謹んで哀悼の意を表します。南無阿弥陀仏
お父様の死を縁として、お父様の成仏に出遇わせていただきましょう。
それはお父様を孫を恨むような祟り神にしないよう成仏させるということでなく、お父様を孫を恨むような存在に感じてしまう「自分(あなた)の心」を成仏させるということです。
成仏とは真理が事実としてあきらかになること。つまり、まことであるものをまことであると見て、まことでないものをまことでないと見るということです。
南無阿弥陀佛の上の電気が点滅したというのは電球が切れかかっていたか、その時に接触が悪くなっていたか、お兄様とご主人の目がかすんでいたか、ということでしょう。
お父様が葬儀中にあなたを猫掴みすることもありません。お孫さんを恨むこともありません。
お父様へのあなたの思いが、あなた自身をそう感じさせたということでしょう。
親族の不和がお父様の介護、あるいはお父様自身を争いの手段にするような形となってしまい、介護を拒否する形となり、さらにはお父様の最後を納得いく形で送って差し上げることもできず後悔しているのですね。
これから供養を通して亡きお父様に出遇うことで共に仏法の真理に照らされ成仏させていただきましょう。
お父様は亡くなってもなおこんなにもあなたが心配したり後悔するようにその影響は今もなお生きています。お父様は今も心の中にはたらきかけてこられるのです。
そのお父様と「供に養う」のが供養です。
人というのは我が身のかわいさ、我が身の都合を主張し争ってしまう事。生老病死の事実には逆らえない事。過ぎた過去に捕われ、まだ見ぬ未来を憂いて今を生きられない事。
様々な真理を事実として我が身に聞かせていただくのが供養の場です。
その時、亡き人を心配する私が実は亡き人から仏法という真理に出遇いなさいと心配されいたことに気がつきます。亡き人を心配するつもりが恐れていたり、争いの種にしているような我が身の姿をあきらかにさせられるのです。
亡きお父様はそうした全ての執着を離れ仏様の世界へ生まれ、今ははたらきとなって皆様を心配しておられます。
どうか心の中にはたらきかけるお父様と供に仏法を養い、真理に目覚めてください。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
父と疎遠になった2年。
本当に短いようで長く私にとって親不孝の期間でありますが父の死をしっかり受け止めいつか父と会える時に成長したと言われるようになりたいと思います。
遺骨は叔母が連れ帰った後に赤ちゃんの時に亡くなった私の兄の入ってるお墓に入れると言われたのでしっかり供養して行きます。
49日まで供に養えるように頑張ります。