犯罪について
神様、仏様が存在するとしたら、なぜ凶悪事件が起こるのでしょうか。
どこかで止めてくれてもいいのに。
また大きなことで言えば、戦争はどうして起こるのか。
無関係の被害者や小さい子供は、どんな意味があり、辛い思いをしなければならないのか。
それはどのように考えたらいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
神仏とは?
宇宙の創造主・運命の支配者としての神仏の存在を認めるならばそのような疑問も成り立つのかもしれません。
全ての現象において創造主がそこに込めた意味が問われることになります。
しかし仏教が説くのはそういうことではありません。仏様とは宇宙の創造主・運命の支配者ではなく、真理を顕かに覚ったものです。真理とは様々な表現がなされますが、ここでは「縁起の法」をとりあげますと、
全ての物事には原因がある。あらゆる原因が影響し合ってその現象が生じている。全てはつながっている。つながりを人間が私的な解釈で分断している。だからそのつながりを大事にする(自利利他円満)。
というようなことです。
意味があるから戦争や凶悪犯罪があるのではなく、戦争や凶悪犯罪が起こる原因があり起こっています。
その原因は「無明(むみょう)=真理があきらかではない」ということが挙げられます。
全てはもともとつながりあって物事が成り立っているのに、それに気づかず人間が私的な解釈で
・これは私のもの
・私が正しい
などと分断し、「私がー!」「私がー!」と主張するとそういう結果となってしまう事でしょう。
だからこそ仏様は私たちに「(真理に)目覚めなさい」とおっしゃるのです。
ですから神仏が意味を込めて戦争や凶悪犯罪を起こしているわけではありません。むしろ意味を私的解釈で人間が捏造しその正当性を争うからそうなります。
しかし、意味があって戦争や凶悪犯罪が起きてしまったわけではなくとも、戦争や凶悪犯罪により失われた小さい子供たちの命に意味がないわけではありません。意味は後付けの解釈ではありますが、生まれたという事実から始まる私たちの命においてその事実に私がどう向き合うかという一点において、あるいはその命から他者が何を見出すかという一点において我々の命から意味が失われることはありません。
神仏を私の解釈に当てはめて考えその正当性を疑うのでなく、私の解釈を疑う。その解釈を破るはたらきとしての神仏に私を学ぶ。
そういう方向性で学びを進めてみましょう。
みんながつながっているからこそ、一人ひとりが真理をあきらかにし、あるいは真理に私をあきらかにされるならば、世の中は変わっていくと思うのです。
外の仏に頼らず、内なる仏で世を良くあらしむる。
残念ながらそういう都合のいい神仏はいません。
だからこそ自らが神仏の心、やさしい心、慈愛のこころを蓄えて隣人たちに言語し、行動するのが具体的な仏の心、慈悲の心の実践です。
このhasunohaを含め、そういう慈善活動をする人がどんどん増えなければ世は良くなるわけがありません。良くなるわけがないのです。
以下はお願いです。
この世の中は、あなたの言う通り凶悪事件や犯罪、戦争が病みません。
それはそういう心に染まっている人たちが引き起こすものです。
分かりやすく申し上げれば心のバイキンマンに感染した人たちです。
ですが、ここで大事なのは、あなたもバイキンマンに感染しないこと。
そうやって世間に「神仏がいない」と不平や不満をいう生き方をされていたずらに自分の心を苦しめる生き方をされるのであると、実はそれもバイキンマンに感染してしまうのです。(喩えです)
それでは、神仏がいないと不満を言っているだけの人間どまりです。
権利だけは主張して、自分が善玉菌を広める活動をしていかないのであれば傍観者です。
あなたが宗教心に目覚めていただくことこそ、世の中を75億分の1、善玉菌になっていただく大切なチカラなのです。
もうお分かりであろうと思います。
あなたはそうやって世の中の悪いことや、やさしさのない世界に加担されたままでいるのか。
それともあなた以外の困った人間を手助けする生き方をするべきでしょうか。
仏教には具体的な善玉菌活性化活動を説いています。
愛語、利行、布施、同事。
これが菩薩への修行道です。
そこに神仏の心は生まれるのです。
あとは100を思うより1を行動として行われることで、あなたの中に具体的な優しい心のエネルギーが生ずるのです。
質問者からのお礼
回答、ありがとうございます。
私自身、もちろん、犯罪はおこしていませんし、虐待もしていませんが、人に対して、手をさしのべるかと言われたら、自分の心に余裕がなければできませんし、自己主張も強いです。
ニュースでの虐待など聞くと、生まれることに意味があり、加害者の学びにはなったとしても、被害者で、しかも亡くなった子の苦しい、辛い思いをして、その子は、得るものはあるのかは、やはり、考えてはしまいます。