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子どもの名付けについて

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子どもの名前についてです。
妊娠中から悩み続けたのですが、なかなか納得できるものが決まらず困っていました。
主人の希望の呼び名があり、その名前に思いを込めて漢字を当てはめるように決まりました。
読みやすい名前が良いと考えていたのに、画数を気にするあまり、留め字が当て字になってしまい、一度で読んでもらえません。
(※名前はお尚さんのみのプロフィールで公開しています)

また、届出後に親族から留め字以外も良いイメージがないと言われました。

出産直後から悩み、もうすぐ1歳になるのに子どもが苦労するのではないかと心配と後悔が頭から離れません。
保育園入る前に改名すべきなのかとまで考えてしまいます。主人はすごく気に入っているので、全く悩んでいません。

名前で全てが決まりはしないですが、本当に大切なものです。
親が自信を持って、思いを伝え、愛情の中で育てていれば、子どもも自信を持ってくれる!と思うのですが…。
決めた時は、私も納得し、それ以外の名前を考えられなくなっていたのもありますが、届出前には少し引っ掛かりがありました。その時になぜもう一度話し合いを提案できなかったのか…。自分に後悔と、こんな風に思ってしまい、子どもに申し訳なくて仕方ありません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

もう一度旦那さんと話し合ってください

一生の問題です。
どこかしらくすぶりがあると大抵の人間はその後も長く引きずります。
あやまりながら、3つくらい改名する案を出して、そのタイプの名前のデメリットをご主人にも良く伝え、理解してもらえればそれで改名を申請されればよいでしょう。
こういっちゃなんですが、ここで相談するよりもご主人に相談すべきことなのです。
ご主人とのかかわりは今もう始まっています。今後も一生の関りであるのにもかかわらず、それを言い出せないということの方がはるかに問題であると考え直してください。
また、これは女性として、母親としての一つの「さが」としての問題としてもお考えいただきたいのですが、子供に対して「我が子」という意識は男性よりも女性の方がはるかに強いです。
その心を低減、半減するための意味合いとしてのその字であってもよいのではないでしょうか。
すでに「お母様意識」が強く働いておられるはずでしょうが、「家庭」とは、ご主人とのバランスも大切なのです。それにそのお名前をお子さんが嫌がるかどうか?も別なのです。
そのくらい、わが子であっても自分の思うとおりにはできないものであるということも深く思惟してみてください。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたが立派に育てる気概を!

茶高炉さん、こんにちは。

私は姓名学もしているものです。
子供につけた名前が、当て字で読めなくて、後悔しているのですね。
姓名学ではいろいろな流派がありますが、茶高炉さんがいう通り、名前は本来相手を認識するための機能ですので、読めない漢字は相手の価値を下げてしまうものという考え方があります。だから余り奇抜な名前にするのは、あまり良くはないと見るので、つける前であれば、賛成はしないと思います。
 でも、もうつけてしまったのですから、仕方がありません。でもまたあなたがいう通り、そのこの人生は名前だけで決まるものではないのです。どんなに画数字義の悪い人でも、幸せになっている人はたくさんいます。その人の人生はその人の生き方で決まるのです。名前はその一つの積み上げに過ぎないのです。
 ぜひ、お子さんには、その名前のリスクに負けないように育ててあげてください。そして逆にその読み方がポピュラーになるぐらいの社会に貢献できる人物に育てあげてください。もしお母さんであるあなたが今回の名前の問題を機縁に、子供を立派に育てようと思って自分も向上して生きたならば、それはまた、マイナスを上回るプラスの力が働いたことになります。

 過去のことにクヨクヨしてもはじまりません。悪い名前ではないのですから、前向きにとらえて素晴らしい息子さんを育ててください。がんばって!応援します。いつでもご相談を。合掌

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個別相談可能
★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email;kongozaji@renge.net(気軽にメールしてね!)  直通電話:090-6041-0193(最初はショートメールで) ※※※※※※※※※※※※ 山寺の小さな金剛座寺は10月23日に襲った台風21号で、大変な被害を被りました。大規模な斜面の崩落で客殿が倒壊の危機に陥っています。人生は何が起こるかわかりません。復興に向けて20年努力してきましたが、またリセットになるとは思いませんでした。でもあきらめません。仏さまの教えは「一切皆苦」苦難をなくすことではありません。苦難は必ずきます。それを乗り越える心を作ることが、御仏さまの教えなのです。  ハスノハに訪れる皆さん。私と一緒に人生の苦難に正面から立ち向かい、乗り越えていきましょう。仏さまと共にならば、必ずできます。合掌 ※※※※※※※※※※※※ Email;kongozaji@renge.net 在家から天台宗僧侶になりました。田舎のお寺だからできる新しいお寺ライフを試みて活動しています。特技は手話で現在某大学の非常勤講師で初歩の手話講義をしています。NPO手話技能検定協会理事の役職を頂いて手話学習の普及に努めております。社会貢献として保護司のお役を通して社会更生のお手伝いをしております。 どうぞ伊勢にお越しの際は遊びにお立ち寄りください。また活動は三重だけでなく、埼玉・東京・神奈川などの首都圏、または車でいけるところはどこでも出張で活動しています。仏事のことなら気軽にご連絡ご相談ください。お寺には宿坊もありますので、心のリフレッシュをされたいのであれば、いつでもお泊りくださいね。 私と一緒に、お寺の復興を手伝ってくれる方を募集しています。私とお友達になってください。そして伊勢の山寺をあなたの第二のふるさとにしてください。 ●お葬式や法要、納骨をお受けしております。 エリアは三重・中部・近畿から東京・埼玉・神奈川まで、車でいけるところはどこでも走り回っております。どうぞご相談ください。  (メールが有難いですが、直通電話 090-6041-0193 でもお受けします。なかなか出られないので着信を残してください。またはSNSでご連絡くだされば折り返し電話します。なお電話での悩み相談は10分と決めておりますのでご了承願います) ※もし少しでも回答がお力になれましたら、その感謝のお気持ちを、ご本尊如意輪観世音菩薩さまへのご志納(布施行)でお願いします。ハスノハ活動ができるお寺の維持活動に使わせて頂きます。 ゆうちょ銀行100010-67608891 名義コンゴウザジ 百五銀行多気支店(普)221446 名義シュウ.コンゴウザジ 檀信徒・弟子になって一緒に仏教ライフを楽しみませんか?(檀信徒費志納年1万円) 仏教を人生に活かして楽しみましょう。合掌 

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。

確かに主人と話すべき問題ですね。
以前に主人とも話し合いをして、主人は「人に説明するのが誇らしい」「気にしすぎ、一度で読めない子はたくさんいる」と私の気持ちを理解ができないようでして。ただ、うちの子に産まれることが出来て本当に幸せだと思う。そう思っていつも育てているという主人に、その気持ちが大事だなと納得したはずだったのです。が…また悩みが再燃し引きずっていました。

私は「我が子」という思いから、名前を決めた私に対する周囲からの見られ方、評価や反応を気にしすぎていたようにも思います。
そして、改名した方がよい!と誰かに背中を押してもらいたかったのです。

正直、デメリット、名前のリスク、奇抜な名前と言われ「やっぱりリスクか」「それを親が与えてしまったのか」とまた深く落ち込みました。心に突き刺さります。

しかし、おっしゃられるとおりだなとも思いました。私がクヨクヨしていたら、子どもに良い影響があるわけはありません!!
もう、振り返らないためにも他の候補も考え直し、もう一度主人と話してみたいと思います。

(きっと、他の名前は出てこないんでしょうね。この名前を本人が誇りに思えるように、真似したいって思ってもらえるくらい社会に貢献できるような人に成長できるように、日々、私が精進する!っという結論に至る気がします。)

長々とすみません。
この度はありがとうございました。

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