十年前から
時間は取り戻せません、もっと早くこのハスハで気づいていたらと思うと、後悔に念があります。買い物でもそうです。後からもっと進化したものがあるというのに、、、と車、バイクなど後から性能がいいのが発売されると気になりだします。今の車を売っています。また購入で迷っています。買い物でいいものか少しいいものか迷いがいつもあります。おぼうさんは、そういう迷いはありませんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
厳選地獄
ありますよ。私は同時に2ch録画できるブルーレイレコーダー買ってあげるって言ったのに、ウチの奥さんが1万円遠慮して1chしか録画できないのを選びました。まぁ本人が望む物でいいかと思ったのですが、やはり事あるごとに「だからもう1万円出しておけば良かったのに…」と思っちゃいます。
ですが、そんな思いを引きずらないのが仏道です。
『人は厳選することで貧しくなります。』車でもバイクでもPCでも婚活でもお坊さん選びでも仕事選びでも何でもそうです。厳選するということは、満足のハードル限度額を取っ払ってしまうこと。身近なものを片っ端から陳腐化させてしまう恐ろしい煩悩です。この評価や厳選の煩悩を取(しゅ)と言います。
厳選しない厳選しない………厳選するから貧しくなる…ベストを目指すから貧しくなる…厳選癖が出てきたら、お坊さんがそう言っていたと思い出してください。
そして、今、目の前の幸せを噛み締めましょう。
何のためにするのかが大事かと
物欲というよりも本当にその道を究めようとしたら道具こそが絶対に大事です。
いい仕事をする上においては、道具も欠かせないものです。
もちろんそれに相応するスキルの方がもっと大事です。
宮大工さんも道具が命だと言っていました。
使い込んでこその光がでるものです。
道具は人任せではなく、自分で研いで研いで最高のものに仕上げていくことも大事です。
たとえば、坊さんは作務衣という服を着ます。
私は今も修行道場時代に買った作務衣を着ています。もう9年は来ています。
あちこち穴が開いています。
作務衣とは作業着でもありますから、新しいものを買うと汚したくないような気持も生じます。
そうなってしまったら単なる物欲でしょう。
作務衣が作業着でありながら、汚れるのを嫌って作業しなくなれば、それは道具として死んでいます。
楽器はプレイヤーの為にこそあるのに、コレクターに所有されれば楽器が泣く。
それはそのものを活かしていない。
もし、ものを購入されるのであれば、それを通してあなたが何をするかの方が大事なのではないでしょうか。
いい道具で、いい使い方をなさってください。
SNSも言語活動もお持ちの道具もいい使い方を。
欲しい時が買いたい時・迷った時は買わない
タレントの所ジョージさんが、「podが出ることが分かっていれば、レコードなんか買わなきゃよかった」なんてふざけて言っていたことを思い出しました。
当時はレコードしかなかったですし、まさかpodが発売されることになるなんて予想もできなかったと思います。
そういう事です。欲しいときが買いたいとき。あとからもっと良いものが出たときは「あの時点で最高のモノを納得して買ったんだよなぁ」と思うようにすれば良いと思います。また私は迷ったときは買いません。まだ機が熟していないから迷うのだと思います。
物欲に支配されています
私は子供の頃、貧乏育ちだったせいか物欲があまりありません。
ずっと同じ服、同じ靴で育ちました。
僧侶だからどう、というのは感じないですね。
しかし人間では「あ~くだらない時間を過ごしたな」という経験はあります。
まあそれも喜怒哀楽を感じているので、有意義な事でしょうが。
ペラペラの靴を履いている私にとって、そんなに物を見つけてくる名無しさんの能力には、嫉妬しますが・・・・
あなたは物欲という魔物に支配されているなと感じました。
物欲から離れれば、もっと心が自由になります。
「はぁ・・・」が「ホッ」になります。
質問者からのお礼
大慈様 厳選地獄抜け出せるように精進します。丹下覚元様 光禪 様 海老原 学善様
図書館に行き、仏教の本などで勉強したく思います。 ありがとうございます。