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十年前から

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時間は取り戻せません、もっと早くこのハスハで気づいていたらと思うと、後悔に念があります。買い物でもそうです。後からもっと進化したものがあるというのに、、、と車、バイクなど後から性能がいいのが発売されると気になりだします。今の車を売っています。また購入で迷っています。買い物でいいものか少しいいものか迷いがいつもあります。おぼうさんは、そういう迷いはありませんでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

厳選地獄

ありますよ。私は同時に2ch録画できるブルーレイレコーダー買ってあげるって言ったのに、ウチの奥さんが1万円遠慮して1chしか録画できないのを選びました。まぁ本人が望む物でいいかと思ったのですが、やはり事あるごとに「だからもう1万円出しておけば良かったのに…」と思っちゃいます。

ですが、そんな思いを引きずらないのが仏道です。

『人は厳選することで貧しくなります。』車でもバイクでもPCでも婚活でもお坊さん選びでも仕事選びでも何でもそうです。厳選するということは、満足のハードル限度額を取っ払ってしまうこと。身近なものを片っ端から陳腐化させてしまう恐ろしい煩悩です。この評価や厳選の煩悩を取(しゅ)と言います。

厳選しない厳選しない………厳選するから貧しくなる…ベストを目指すから貧しくなる…厳選癖が出てきたら、お坊さんがそう言っていたと思い出してください。
そして、今、目の前の幸せを噛み締めましょう。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

何のためにするのかが大事かと

物欲というよりも本当にその道を究めようとしたら道具こそが絶対に大事です。
いい仕事をする上においては、道具も欠かせないものです。
もちろんそれに相応するスキルの方がもっと大事です。
宮大工さんも道具が命だと言っていました。
使い込んでこその光がでるものです。
道具は人任せではなく、自分で研いで研いで最高のものに仕上げていくことも大事です。
たとえば、坊さんは作務衣という服を着ます。
私は今も修行道場時代に買った作務衣を着ています。もう9年は来ています。
あちこち穴が開いています。
作務衣とは作業着でもありますから、新しいものを買うと汚したくないような気持も生じます。
そうなってしまったら単なる物欲でしょう。
作務衣が作業着でありながら、汚れるのを嫌って作業しなくなれば、それは道具として死んでいます。
楽器はプレイヤーの為にこそあるのに、コレクターに所有されれば楽器が泣く。
それはそのものを活かしていない。

もし、ものを購入されるのであれば、それを通してあなたが何をするかの方が大事なのではないでしょうか。
いい道具で、いい使い方をなさってください。
SNSも言語活動もお持ちの道具もいい使い方を。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

欲しい時が買いたい時・迷った時は買わない

 タレントの所ジョージさんが、「podが出ることが分かっていれば、レコードなんか買わなきゃよかった」なんてふざけて言っていたことを思い出しました。
 当時はレコードしかなかったですし、まさかpodが発売されることになるなんて予想もできなかったと思います。
 そういう事です。欲しいときが買いたいとき。あとからもっと良いものが出たときは「あの時点で最高のモノを納得して買ったんだよなぁ」と思うようにすれば良いと思います。また私は迷ったときは買いません。まだ機が熟していないから迷うのだと思います。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

物欲に支配されています

私は子供の頃、貧乏育ちだったせいか物欲があまりありません。
ずっと同じ服、同じ靴で育ちました。
僧侶だからどう、というのは感じないですね。

しかし人間では「あ~くだらない時間を過ごしたな」という経験はあります。
まあそれも喜怒哀楽を感じているので、有意義な事でしょうが。

ペラペラの靴を履いている私にとって、そんなに物を見つけてくる名無しさんの能力には、嫉妬しますが・・・・
あなたは物欲という魔物に支配されているなと感じました。

物欲から離れれば、もっと心が自由になります。
「はぁ・・・」が「ホッ」になります。

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おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

質問者からのお礼

大慈様 厳選地獄抜け出せるように精進します。丹下覚元様 光禪 様 海老原 学善様 
図書館に行き、仏教の本などで勉強したく思います。 ありがとうございます。 

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ