本当の優しさを持てない自分が嫌い
またまた相談失礼いたします。
私は、優しい、気遣いが出来るね、とよく言われます。
確かに、他の人よりもそういう考え方や行動が多いかも、と自分でも思います。
でも私は、本当の優しさを持っていないんです。
本当の優しさってたぶん、見返りを求めず100%相手のことを考えるものですよね?(それだとただの自己満足?)
でも私はやっぱり、見返りを求めてしまうんです。その見返りというのは、その人の笑顔や、その人の幸せです。誰かの笑った顔を見るだけで私は嬉しくなるので、みんなに笑っていて欲しいんです。
だから結局は、自分のためになってしまっていて、ただ自分勝手なだけなのでは?と...。
そんな自分勝手な自分が、最近ほんとうに嫌で嫌で、自分の中のちょっとした優しさを見つけるたびに嫌いになっていき、怒りさえこみ上げてきます。
本当の優しさって何だと思いますか?
どうすれば本当の優しさを持った人になれるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
相手も笑顔、私も笑顔
はじめまして。亀山純史と申します。
ずんださんは、十分優しいのではないでしょうか。以下、ご相談内容についての、私からの回答を書かせていただきます。
ご相談にありました「本当の優しさは、見返りを求めず100%相手のことを考えるもの」とは、本当にその通りだと私も思います。では、そのとき、本当の優しさとは、100%相手の何を考えるものなのでしょうか。たぶん、それは相手の笑顔や幸せではありませんか。
優しさを実践していく上で大切なことは、そういった相手の笑顔や幸せに「とらわれない」ということです。具体的に言えば、相手の笑顔や幸せに対して、更に何かを見返りとして期待する、あるいは、笑顔や幸せであるという意思表示を相手に要求する、と言うことが「とらわれ」です。また、そのような相手の笑顔や幸せに対して、いつまでも「自分は相手に喜んでもらった。」などという意識を持ち続けることも「とらわれ」でしょう。そのようなことに、自分の心が縛られないことが、「とらわれない」ということです。
私が思う本当の優しさにあふれた世界とは、「相手も笑顔、そして私も笑顔」になる世界だと思います。仏教では「自利即利他」ということを申します。今回の場合、「自利」とは「私の笑顔」、「利他」とは「相手の笑顔」。「私が微笑んだら、相手も微笑んでくれる」「相手が微笑んでくれたら、私も自ずと微笑んでしまう」という世界に、私自身、生きていきたいと思っています。
無限に広がる優しさを
拝読させて頂きました。
あなたが人になさる優しい気持ちや行いも本当の優しさです。
人に施しをすることによって人が喜び笑顔になることは優しさが表れていることですから。
優しさつまりやさしさは人も自分も大切にすることです。人だけではないのです。自分も大切にすることができて人にも施しをすることができるのです。
ですからあなたが思いなさっていることは優しさです。
あなたがそうなさることによっておのずと見返りというか果報が恵まれてくるのです。
そしてあなたはそれを受け取りまた次の優しさを施すことにつながっていくのです。
ですから無限に広がる優しさの連鎖になっていくのです。
どうぞこれからもあなたの優しさを周りの方々に施していって下さい。自然とあなたに戻ってきますからね。
気になさらないで人を助け支えてあげて下さいね。
あなたがこれからの人生を皆さんと共に優しさを施し合い喜びを分かち合い、心豊かに生き抜いていかれますようにと心より仏様にご祈念申し上げます。
質問者からのお礼
お二方、心のこもった回答をありがとうございます!
亀山純史さま
>私が思う本当の優しさにあふれた世界とは、「相手も笑顔、そして私も笑顔」になる世界だと思います。
本当にその通りですね。このお言葉を読んだとき、一人で思わずにっこり笑ってしまいました。
ありがとうございます。
Kousyo Kuuyo Azumaさま
「無限に広がる優しさの連鎖」、素晴らしいことですね。
自分ももっと大切にしていいんだ、と思えました。
ありがとうございます。