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死刑について

回答数回答 4
有り難し有り難し 79

度重なる論争によって混沌としている話題でありますが、お坊さん的にどう映っているのかなと。

はっきり言って私はどちらかと言うと反対側の人間です。そもそも人が人を裁くという神にでもなったつもりなのか驕っているようにも見えている。
でも現代を生きる人々が暮らす世の中においてこの考えは泡沫の夢に過ぎないのでしょうか。

身内が殺されてもお前はそんな甘えた事を言うつもりか、人でなし薄情者、悔しくは無いのか、社会のゴミは死んで当然だ。ころせころせ。

誰も彼もアガペーを持てと言うわけでもありません。私自身も身内を殺されて正気を保てるのかわかりません。彼らと同じ事を望んでしまうやもしれません。
ですが……それでも死を持って贖罪とするのは本当に正しいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何とも言えないから、一応の基準をみんなで作ったのでは。

死刑制度の是非については、結局のところ私も結論には至っておりません。

ところで、
「自分の信仰は東本願寺(真宗大谷派)の門徒。親鸞聖人の教えを、幼いころからおばあちゃんのひざの上でお参りしていたことが根底にある」
と言った法務大臣がいたのをご存知ですか?

あれだけは勘弁してくれよと、私は今でも思っています。

死刑制度については、まだまだ議論の余地はあるでしょうし、倫理宗教的観点からしてもじつは間違った制度なのかもしれない。しかしながら、現在、ここまでやったら死刑になるよと法律で決まっている以上、死刑判決を受けた死刑囚にはきちんと死刑に処すべきだとも思います。

死刑執行が嫌なら法務大臣になるな!!
東本願寺とか親鸞の名を語り、勝手な事言ってくれるな!!

正直、私はそう思います。

答えになっていなくて、ゴメンナサイ。

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おきもち

【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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実態を把握する

昨日、二人が執行されましたね。
僧侶という立場としては、複雑です。

死刑。
目には目を歯には歯を、愛する家族を殺したのだから、あなたも同じ目に遭いなさい。
という考え方と・・
犯罪者を処刑し見せしめとし、罪を犯せば死刑になりますよ、というメッセージを社会に発信する事が主な目的と考えております。

死刑に関する本は何冊も読みました。
私が思うに、死刑執行の実態が、世間に知れ渡っていません。
また、ほとんどの本に共通しているのは、死刑囚側に立って書かれているという事です。

死刑が確定してから処刑されるまで、5年から10年が一般的です。
死刑の言い渡しは、当日の朝、主に朝食後です。
身の回りの支度も許されず刑場に連れていかれ、1時間くらいで処刑が執行されます。
ですので、朝食後が死刑囚にとって恐怖の時間となります。
刑が執行されない土日以外は、毎朝が恐怖の時間なのです。

N県で幼い女の子を浴室で惨殺した男は執行当日、入浴の日だったそうです。
扉が開き、楽しいお風呂の呼び出しだと勘違いし、洗面器を部屋に残したまま、刑場に引き立てられ、執行されました。
とにかく突然の言い渡しなのです。

執行に直接関わるのは刑務官。
ほとんど全員がやるせない気持ちになると言います。

非人道的でしょうか?
それとも当然の罰と考えられるでしょうか。

その反面、死刑以上の刑罰を望む、遺族の悲痛な叫びも受け止めなければなりません。
突然家族を失う、怒り悲しみ悔しさ。
死刑廃止を訴えるならば、遺族の感情も当然分かった上で、死刑廃止を叫んでいただきたい。
もし、自分が遺族になればではなく、地獄の苦しみを味わい続けている遺族へ向けて、直接会って持論を展開して欲しい。
私は、そう願います。

覚せい剤を使用した過去があると、刑が軽減されるのをご存知でしょうか?
後遺症または判断能力低下のためだそうです。
無罪になった例もあります。

これで犯罪の抑止力になるのか、私には疑問が残ります。
覚せい剤を使用すれば、人を殺しても罪に問われない事もあり得るのです。

私は、正しいかどうかよりも、死刑囚の実態と刑務官の苦悩、遺族の猛烈な悲しみを、また判決の矛盾を知るべきであると思います。

長文失礼しました。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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もし刑務所がなければ、犯罪者は恨みを持った被害者の親族に殺されるでしょう。
次に、そこで殺された元犯罪者の親族の恨みによって被害者の親族は殺されるでしょう。
次に、殺された親族の親族によって、元犯罪者の親族は殺されるでしょう。
このように恨みと復讐の連鎖が起きてしまいます。
これを刑務所が止めているのです。
ただ、死刑か終身刑か何がいいのかという問題はあるでしょう。
お釈迦様はアングリマーラという名の大量殺人者を巧みな話術で弟子にして改心させていますから、仏教的には許すことが悟りへの道であります。しかし、アングリマーラはその後恨みを持った被害者の親族達に殺されてしまいます。(いくつかの説があります)
お釈迦様は、苦しむ彼に対して、それも因果応報だから甘んじて受けなさいと言われました。
アングリマーラは最後まで抵抗なく受け入れました。
悟りに至る為には許すことが大切、しかし、煩悩の多い私達が悟りに至ることは難しいのです。許すことは難しいのです。
私達に出来ることは、先ずは私達自身が死刑囚にならないことです。
そして、周りの人を死刑囚にならないように導くことです。
みんながそう思って、犯罪を犯さないように、他人を苦しめたりしないように、お互いに助け合って生きることによって、死刑囚は居なくなり、死刑そのものが無くなるのではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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敵は無明・煩悩

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死刑制度・・復讐や応報刑では根本的な解決には至らないと仏教では考えることとなります。

何よりも「心」のありようとその心に基づく行いとしての「業」、つまり、行いの集積の問題を重視することとなります。

私たちが悪い行いをしてしまうのは、根本的には無明(無知)による煩悩の心を動機としての行いとなってしまっております。

復讐や応報刑では、その根本的な原因を無くすことは難しいものであり、できれば仏教により、無明・煩悩を打ち破ることで、善き行いを調えて参りたいものとなります。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

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日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ