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生きる意味、心構え

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有り難し有り難し 16

こんにちは。
生きるという事について幾つか質問させてください。

私は祖父母と両親に愛情を注いでもらい、22年間生きてきました。この4月からは家族が暮らす地元での就職も決まりました。家族にはとても感謝しており、これからは精一杯の孝行をしていくつもりです。

家族を守るためには強く生きていかなければならないと思うのですが、生きる意味や心構えについての疑問や不安が消えません。

私はこれまで生きてきた中で、辛い、悲しい、不安、怖いといった感情を抱く事が圧倒的に多かったです。今も、今後の事を考えると不安の気持ちが圧倒的に多いです。辛い事がある度に「何で生まれてきたんだろう」「何で人(私)は生きているのだろう」と考えます。
もちろん楽しい、嬉しいといった感情になる事も多くありました。特に、家族と過ごす時間や地元の豊かな自然に触れてのんびりする時には幸せを感じます。この時間が大好きです。

しかし、こうした楽しい、幸せだと思える時間がいつまでも続く保証がないと考えると不安で仕方がないです。人は昔から、いつ何が起こるか分からない環境で生活してきたので、それが普通だという事は分かっています。むしろ現代の日本は安全や生活面で本当に恵まれていると思います。ですが、これからを生きるという事に対する不安がどうしても消えません。自然災害、戦争などはいつでも起こり得るし、大切な人の死に向き合う事も避けられません。不安でいっぱいです。

考えすぎなのでしょうか。
今後の事を考えると不安で押し潰されそうです。
悲しみや不安を抱えながらも強く生きていくためには、どのような心構えを持つ必要がありますか?

拙い文章ではありますが、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

このような私だからこそ、大いなる慈悲の心が動いている

はじめまして。亀山純史と申します。
あなたが感じるような不安は、みんなが潜在的に持っているものです。唯円が書いたとされる『歎異抄』の中で、親鸞聖人は
「少しでも病気にかかると、死ぬのではないだろうかと心細く思われるのも、煩悩のしわざです。果てしなく遠い昔からこれまで生れ変り死に変りし続けてきた、苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたく、まだ生れたことのない安らかなさとりの世界に心ひかれないのは、まことに煩悩が盛んだからなのです。どれほど名残惜しいと思っても、この世の縁が尽き、どうすることもできないで命を終えるとき、浄土に往生させていただくのです。」
と言っています。そして、それに続き、
「はやく往生したいという心のないわたしどものようなものを、阿弥陀仏はことのほかあわれに思ってくださるのです。このようなわけであるからこそ、大いなる慈悲の心でおこされた本願はますますたのもしく、往生は間違いないと思います。」
と親鸞聖人は仰せになったと書かれています。
私たちはちょっとしたことで、自分の命について不安になります。本当は不安にならなくてもいいはずなのに、不安だらけの私がこうしているから、仏様は心配してくださり、仏様の大いなる慈悲の心が、私に救いの手をさしのべてくださっているのです。
これからは、朝夕に手を合わせ、仏様の大いなる慈悲の心に感謝する生活を送ってはどうでしょうか。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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拝読させて頂きました。
私達の先祖様達は沢山の苦難の歴史の中を生き抜いて参りました。
その遺伝子を私達は受け継いで生きています、そして今の歴史を学ぶことができ、それを生きていく為に役立てることができるのです。
まして私達は仏様のみおしえにめぐり合い真理を学ぶことができるのです。
確かに怖いと思います。
それでも一歩ずつ前進することができるのです。

いかがでしょう。

あなたの本当に目指すことは何でしょうか?

あわてることはありません、じっくりと自分のことや周りのこともそしてこれからのことをお考えなさって下さいね。

あなたの目の前には未来があるのですからね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

亀山純史様、
はじめまして。ご回答していただき、ありがとうございます。
このような不安を持っているのは自分だけではないというお言葉で気持ちが軽くなりました。これからは、仏様の慈悲の心に感謝して日々の生活を送っていきます。ありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma様、
はじめまして。ご回答していただき、ありがとうございます。
不安に思う気持ちが大きすぎて、あわててしまい、目の前の事がおろそかになっていました。
自分が1番大事なもの、目の前にあるもの、本当に目指すべきものをしっかりと考えて一歩ずつ進んでききます。ありがとうございました。

「生きる意味」問答一覧

生きてる意味

いつもご回答ありがとうございます。今回も相談失礼致します。 今私が思っている事吐き出させてください 毎日毎日生きている心地がしません 昨日も今までの事やこれからの事を考えてしまい不安で頭がいっぱいになりました 小学校に転校したての時にいじめに遭い、多分その時点で私の心は死んでいたと思います。いじめって言ってもみんなが思ってるようないじめではありません。暴言を吐かれたりハブられたり無視されたり都合のいいように利用されたりそんなものです。 小学生のころの私は弱かったしいいなりになるしかありませんでした いじめてきた子に認められたかったし仲良くなりたかった、そしたら無視されることもなくなると思ったしみんなと同じように接してくれると思いました。今思えば本当に惨めです。 何年か経ち小学校3年生くらいの時新しいお友達が3人できました 親友と呼べるほどに仲良くなってお泊まり会やお出かけもしました ですが一人の子が○○ちゃんが一番好き、一番仲いい子、幼馴染だから、その発言を聞く度に私は、転校生なので幼馴染がいるわけもなくとても羨ましくて、なんだか利用されているだけなのかもと思っていました 当たり前に喧嘩はありました、大好きで仲良かった子にも散々暴言を吐かれ愚痴を言われ無視され、私も悪い部分があったとはいえ本当に辛かったです その他にも兄が同級生に絡まれ、たぶんあれはいじめられていたんだと思います。 それを見てどうしても腹が立ってしまいその中に割り込んで口出ししました いじめてる側の人達にはもちろんいじられ、兄は助けてくれると思ったのですがまさかの相手側についていました。 でも分かります、嫌われるのが怖いしまた虐められるのが怖い、私も同じなので分かります。ですが兄にまで裏切られた私には絶望と悲しみしかありませんでした それからも男子に体型をからかわれたり冗談で暴力をふるわれたり、私は元々肌が弱く虫に刺されやすくて、それに加え治りにくかったので肌が汚いです。なので水泳授業など苦痛でしかなかったしそれが原因でいじめられるのも怖かったです。 結局不登校になってしまった今でもこのトラウマは思い出してしまうし、フリースクールでも空気のような自分、みんなは可愛くて友達もいて輝いてる、誰でもいいから私を見つけてほしい認めて欲しい人が怖い、もう死んでしまいたい

有り難し有り難し 19
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今の幸せを感じるには

大学卒業後、就職した職場でなかなか環境に慣れることができず適応障害になって退職し、そこからフルで働くことができなくなりました。 今は平日パートタイムで働いていて、なんとか4.5年続いていますが、人間関係や労働環境は最悪です。 給料が低いことと、この先また適応障害になって寝込んで動けない状態になるかもしれないという恐れから、今だに実家暮らしです。 また大学時代からずっと付き合っていた人と1.2年前に別れ、結婚や子供も諦めました。 この歳になっていまだに自立できていないこと、仕事のキャリアを積んでいけないこと、親に孫の顔を見せられないことなど現実に向き合えない自分が嫌です。何のために生きているか分からず、無意識に死にたいという言葉が口から出るようになりました。 自分も両親も健康で、大きな病気や怪我もなく、借金や人間関係など大変な問題を抱えてるわけでもありません。 明日食べるものに困るような状態でもなく、とても恵まれた状態であるにも関わらず、ずっと「もう人生を終えたい」と考えています。 死にたいというよりは、今ある面倒なことから逃げたいというのが本音かもしれません。 安心して過ごせる家があるというだけでとても幸せなことなのに、なかなかそれを実感することができません。 どうしたら今すでに身の回りに存在している幸せに気づいて、死にたいと考えてしまうことを減らしていけますでしょうか。

有り難し有り難し 8
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生きてる意味ってなんなんでしょう?

最近人生ってなんなんだろう。苦しみしかないじゃん。と思ってしまいます こうなったら嫌だなと思う事ばかり実現して こうなりたいという事は何一つ実現しません わたしはずっと歌手を夢見て努力してきました でも、人から歌を褒められる事はほとんどなく 音程が大きく外れてるわけでもないけど 自分で聞いてもなんか納得いかない歌声 その声も最近全然出なくなってきてしまい、 「あぁ、わたしには才能がなかったんだな」と思ったりしています 他にやりたい事としてはプロレスがあります が、それもやっぱり怪我や痛みが怖いという思いがあったりして踏み出せないです でも、わたしも30半ばが近くなってきて このままではこのまま何もないままわたしの人生が終わってしまうという焦りに襲われています わたしのこれからやりたい事としては、性同一性障害(以下、GID)に生まれてしまったので その治療がしたいと思っています しかし、血液検査の結果、肝機能の数値が悪く、「このままだと治療を進めるための意見書を書くのは難しい(治療が受けられない)」と医師から言われました おそらくストレスによる過食から来る体重増加などが関わっていると思い 1か月前からダイエットを始めて7kg減量しました そして今週の血液検査の結果次第という事になりました しかし、まだまだデブだしダイエットは続行するつもりですが 「いつになったらわたしの望みが叶うのだろう・・・」という気持ちがずっと離れないです GIDの病院の待合室には10人くらい患者さんがいましたが みんなもうホルモン治療が始まっている人ばかりで 自分のなりたい性を叶えています それを見た時にわたしだけなれていない、という焦りや悲しみがわいてきて わたしは女性になりたいのですが 今では街中を彼氏と腕を組んで歩いている女性を見るだけで本当に辛い気持ちになります 親が性別を選んで産んだわけじゃない事はわかっているのですが、それでも親には望みを何一つとして叶えてもらえなかった(機能不全家族)せめて性別だけは女の子に産んでほしかった。という気持ちがどんどんわいてきています おとぎ話のように待っているだけじゃ王子様は現れず魔女にかけられた呪い(病気)も解けない事はわかっているし努力もしていくつもりですが何のために生きてるんだろう、みんな楽しそうでいいなという思いが拭えません

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

行き着くところは皆同じ

ある時、生きる意味を教えてくれた人がいました。 生きることは愛である。と教えてもらいました。 その時から私も生きることは愛だと考えるようになりました。 話を聞いている中で疑問ができたので、恩師に質問をしました。 この世に生まれてきて、愛に触れて愛を学び、それが一番大切なものだと気づいたとして、そのあと行き着くのは何処ですか?と質問しました。 行き着くところは皆同じ、源だ。と教わりました。 たくさん宗教があるが最後行き着く場所は皆、源である。と教えて頂きまさした。 まだうまく理解はできていないのですが、 生命あるもの皆等しくいずれ天に還る。ということかと仮定しました。 そう考えた時に、死後この世界ではない別の世界があり、そこに源があるなら、本当の世界とは死後の世界ではないかと考えました。 天に還るという事は、元は私たちは天からやってきたのか?とふと思いました。 でもやっぱり死んでみないとわからないなぁ、に行きつきました。 恩師の言葉で印象に残っているのは、 この時代、この家族、この友達、この恋人、全部この人生だけの組み合わせである。楽しみ尽くさないと勿体無いよ。ということでした。 人によって考え方は違いますし、 今の生活を修行と言う人もいるし、地獄と言う人もいました。 皆に源って何?と聞いてみましたが、わからないと言っていました。 源とは何でしょうか。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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何のために生きるのか?

度々の質問失礼致します。 過去の質問でも記載した通り、小さなことではありますが自分の中で苦しいことが重なってしまい、生きる意味がよくわからなくなってしまいました。 これまで26年間、成功ばかりではありませんでしたが、与えられたものは淡々とこなし、人道に外れたことはせず、自分自身に恥じない生き方や選択をしてきたつもりです。 苦しい時期もありましたが、それも「いつかは終わる」と信じ、その時その時の楽しみ方を見出して生きてきました。 ですが、最近猛烈な虚無感に襲われます。 新年早々、大きな災害がありました。一生懸命生きていても、どれだけ頑張っても、無情にも失われる命があります。 努力して生きていても報われる保障はない。自分が誰かを愛しても傷つくことばかりだし、大事にしている人間関係もいつなくなるかわからない。お金だって貯めた方がいいという人もいれば若いうちは経験の為に使いなさいという人もいる。 何を信じればいいんでしょうか? 私にとってはここ何年かが全て決断の連続で、怖いけれど、と思いながらも、勇気を出して飛び込んできました。ですがその結果、何もない無力な自分や、不甲斐ない自分を思い知らされるだけです。 本当は他人のアドバイスはほどほどに、何もかも自分で決めて、自分で持った軸をぶらさずに生きていければ良いのでしょうが、私はもう私を信じられません。 悩んでばかりで何も具体的に考えられない、周りの友人たちのように当たり前の毎日を大切に生きることもできません。 26歳のくせにこんなにスカスカで、やりたいことも行きたい場所も、一緒にいたい人も、生きる目的もどこにも見当たらないんです。 仕事でこうしたい、結婚したい、子供がいるなど、自分を何か縛るものがあればきっと目の前のことに集中できるのでしょうが、私にはもう何もありません。 家族も好きなことをしなさいと言ってくれます。ありがたいです。でも誰かにこう生きろと決められた方が幸せなんじゃないかとすら思います。 漠然とした不安に襲われながら毎日淡々と生きてます。 生きるのってこんなに怖いことだったのかと、この年になって気付きました。 死ぬのは怖いです。でも同じくらい先の見えない、正解のない人生が怖いです。 楽になりたいです。先人たちは皆、こんな虚しさを経験したうえで生きてるんでしょうか。

有り難し有り難し 6
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