生きる意味、心構え
こんにちは。
生きるという事について幾つか質問させてください。
私は祖父母と両親に愛情を注いでもらい、22年間生きてきました。この4月からは家族が暮らす地元での就職も決まりました。家族にはとても感謝しており、これからは精一杯の孝行をしていくつもりです。
家族を守るためには強く生きていかなければならないと思うのですが、生きる意味や心構えについての疑問や不安が消えません。
私はこれまで生きてきた中で、辛い、悲しい、不安、怖いといった感情を抱く事が圧倒的に多かったです。今も、今後の事を考えると不安の気持ちが圧倒的に多いです。辛い事がある度に「何で生まれてきたんだろう」「何で人(私)は生きているのだろう」と考えます。
もちろん楽しい、嬉しいといった感情になる事も多くありました。特に、家族と過ごす時間や地元の豊かな自然に触れてのんびりする時には幸せを感じます。この時間が大好きです。
しかし、こうした楽しい、幸せだと思える時間がいつまでも続く保証がないと考えると不安で仕方がないです。人は昔から、いつ何が起こるか分からない環境で生活してきたので、それが普通だという事は分かっています。むしろ現代の日本は安全や生活面で本当に恵まれていると思います。ですが、これからを生きるという事に対する不安がどうしても消えません。自然災害、戦争などはいつでも起こり得るし、大切な人の死に向き合う事も避けられません。不安でいっぱいです。
考えすぎなのでしょうか。
今後の事を考えると不安で押し潰されそうです。
悲しみや不安を抱えながらも強く生きていくためには、どのような心構えを持つ必要がありますか?
拙い文章ではありますが、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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このような私だからこそ、大いなる慈悲の心が動いている
はじめまして。亀山純史と申します。
あなたが感じるような不安は、みんなが潜在的に持っているものです。唯円が書いたとされる『歎異抄』の中で、親鸞聖人は
「少しでも病気にかかると、死ぬのではないだろうかと心細く思われるのも、煩悩のしわざです。果てしなく遠い昔からこれまで生れ変り死に変りし続けてきた、苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたく、まだ生れたことのない安らかなさとりの世界に心ひかれないのは、まことに煩悩が盛んだからなのです。どれほど名残惜しいと思っても、この世の縁が尽き、どうすることもできないで命を終えるとき、浄土に往生させていただくのです。」
と言っています。そして、それに続き、
「はやく往生したいという心のないわたしどものようなものを、阿弥陀仏はことのほかあわれに思ってくださるのです。このようなわけであるからこそ、大いなる慈悲の心でおこされた本願はますますたのもしく、往生は間違いないと思います。」
と親鸞聖人は仰せになったと書かれています。
私たちはちょっとしたことで、自分の命について不安になります。本当は不安にならなくてもいいはずなのに、不安だらけの私がこうしているから、仏様は心配してくださり、仏様の大いなる慈悲の心が、私に救いの手をさしのべてくださっているのです。
これからは、朝夕に手を合わせ、仏様の大いなる慈悲の心に感謝する生活を送ってはどうでしょうか。
拝読させて頂きました。
私達の先祖様達は沢山の苦難の歴史の中を生き抜いて参りました。
その遺伝子を私達は受け継いで生きています、そして今の歴史を学ぶことができ、それを生きていく為に役立てることができるのです。
まして私達は仏様のみおしえにめぐり合い真理を学ぶことができるのです。
確かに怖いと思います。
それでも一歩ずつ前進することができるのです。
いかがでしょう。
あなたの本当に目指すことは何でしょうか?
あわてることはありません、じっくりと自分のことや周りのこともそしてこれからのことをお考えなさって下さいね。
あなたの目の前には未来があるのですからね。
質問者からのお礼
亀山純史様、
はじめまして。ご回答していただき、ありがとうございます。
このような不安を持っているのは自分だけではないというお言葉で気持ちが軽くなりました。これからは、仏様の慈悲の心に感謝して日々の生活を送っていきます。ありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma様、
はじめまして。ご回答していただき、ありがとうございます。
不安に思う気持ちが大きすぎて、あわててしまい、目の前の事がおろそかになっていました。
自分が1番大事なもの、目の前にあるもの、本当に目指すべきものをしっかりと考えて一歩ずつ進んでききます。ありがとうございました。