神経質で自虐的な性格を治したいです
ご覧頂き有難う御座います。
私は異常に神経質な性格で、人の些細な言葉や自分のミスで必要以上に深く落ち込んでしまいます。また、幸せでいるよりも、悲しかったり不幸でいる方が落ち着き、親には自虐的な性格だと言われます。
成功願望が強いのですが、いつも心の何処かで自分の人生を悲観しているように思います。
客観的に見れば、人から「凄い」と言ってもらえるような事は沢山成し遂げましたが、褒めてもらっても全く真に受けることが出来ず、いつもネガティブになってしまうのです。
両親の離婚、優秀な親戚や友人、罵倒と競争の激しかった部活、過去の恋愛の失敗など、原因でありそうなものはいくつも挙げられるのですが、どうすれば治せるのかが分からないのです。
せっかくの人生なので、ポジティブに、幸せを拒まずに生きたいです。
友人や家族は「ポジティブな事を考えれば良い」「気にしなければ良い」などとアドバイスをくれるのですが、それが出来ないから困っているのだけれどなぁ、、と思ってしまいます。
お坊様から何かアドバイスを頂ければなと思い、投稿させて頂きました。宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
諸行無常です。
ともみさん、こんにちは。タイトルにした「諸行無常」、聞いたことはあるでしょう。
「すべてのものは、移り変わってゆく。因と縁の働きによって」ということです。世間では「いつまでも良い時は続かない」と、ネガティブな捉え方をされるようですが、「悪い時も終わっていく」「物事は常に移り変わりつつある」「いつでも新しい一瞬を生きている」とメカニズムそのものが、本来の意味です。良くなるとか悪くなるといった、方向は問わないのです。
つまり、あなたの「良い時でも、ついネガテイブになってしまう」…という「ものの考え方」自体も諸行無常で変化していきます。「あ、また私はネガティブに考えてるな」と自己を見たときは、すでにネガテイブではなくフラットに自己を見ているのです。
仏教は多分、「物事をみなポジティブに捉えよ」とは言っていません。「物事をフラットに捉えよう」です。物事をネガティブに捉えがちな人が多いので、そのカウンターとして「ポジティブに」がもてはやされますけれど、ポジティブな気持ちや事柄だって、いづれ終わりを迎えます。その寂しさを恐れるよりも、「瞬間ごとに変化している」ことに気づき、変化することを受け入れる。一喜一憂する心は変わりませんが、「喜」にしがみつこうとする自分から自由になることで、平安は訪れると思いますよ。
あとね。
嬉しいことがあったときは、自分の体を観察できるといいですね。早口になっていたり、体温が上がっていたり。「あー体が喜んでるな」と、脳みそファーストよりも身体ファースト。「喜んでるの、みっともない」と思う必要はありません。気をつけるべきは、「その状態にしがみつこうとする自分」です。みっともないのはどちらか?分かりますね。
質問者からのお礼
佐藤良文様
大変暖かいお言葉を有難う御座います。ハッとさせられました。
よくポジティブな母に「どんな状況でも、必ず人生は良い方向へ向かっているんだから」と言われ、それに対して「こんな酷い状況なのに良い方向に向かってるわけ無い!」などと喧嘩になるのですが、佐藤様が仰っていたように、無理にポジティブになろうとする必要は無いのだと思うと、自分のネガティブさを責める気持ちが少し和らぎました。変化する心と現実を、受け入れるという諸行無常の考え方が、大変しっくり来ました。有り難いお言葉を下さり、有難うございました。