hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

瞑想について

回答数回答 2
有り難し有り難し 28

身心の痛みから少しでも解放されたいと瞑想やヨーガに興味を持ち始めました。
瞑想について、本を読んだりワークショップに通って実践してみたのですが、わからないことがあります。

説明やガイドの中で、「ありのままの自分」という言葉が出てきますが、それがどういうものなのかがよくわかりません。
「ありのままの自分」=「今現在の自分」なのか、
「ありのままの自分」=「等身大の自分」なのか、
「ありのままの自分」=「本来の自分」なのか。
その全てなのか。
そして、「等身大の自分」、「本来の自分」というものが、自分でありながら自分で理解ができず、どういうものなのかわかりません。

また、瞑想で気付きが生まれても、気づきの先にあるものが見えません。
気付いても、その先の思考や行動に今までと何ら変化が起きていないきがするのです。

こんな風に頭で考えなくても、この先も続けていくことによって、自然に答えや、何かが見えてくるものなのでしょうか。

少しでもアドバイスいただけましたら幸いです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今自分がやってないのに体がやってくれてること

我々がスマホだとします。人間ですが。
人間もスマホも待ち受け画面状態があります。
何もせんとただじーっと。
体の痛み。大変でしょうね。少しでも取り除ければと思います。
ところで体の痛みや不調って誰がやっているのかを考えてみると結構大事なことが見えてきます。
痛みの発生時点って、
①ズキン!
②「!」
③痛いっ!
④んもー、何でこんな体になっちゃったんだろう…
⑤くそー、あの医者めー。
ざっくり申し上げますと、そういうことをやっています。ものすごく高速で。
ですが、①~③の時点って、痛いは痛いにしても「無私無我」の痛みとでもいうべきものなのです。
自分の主観が入らないということです。
本当に痛ければ我慢せず、鎮痛剤を上手に服用なさるべきです。
体の痛みだけは心ではどうしようもありません。
ですが、④とか⑤というのは、体の感覚の後から頭でやっていることです。
それは無くすることができます。
そこが上手になると「後追い思考」「後から被害者意識」「後から自分いじめ思考」が無くなりますから、今後は痛みが生じたときも今よりはきっと楽になると思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
私の無知な頭では少し難しいです。(汗)
とにかく何か見えてくるまで実践に励んでみようと思います。

追加であともう1点だけ質問させてください。

「ありのままの自分」を受け入れるという事は、今の自分を受け入れればよいのでしょうか?

2度にわたりご回答いただきまして、ありがとうございます。

頭であれこれ考えるのを止め、このまま瞑想を続けてみます。
ありがとうございました。

丹下覚元 様
わかりやすくご説明いただきありがとうございます。
不安や怒りのどの感情によって、本来の痛みに余計な修飾をし、自分自身で痛みを強めてしまわないように、気を付けてみようと思います。
お忙しい中ご回答いただきありがとうございました。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ