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瞑想について

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有り難し有り難し 26

身心の痛みから少しでも解放されたいと瞑想やヨーガに興味を持ち始めました。
瞑想について、本を読んだりワークショップに通って実践してみたのですが、わからないことがあります。

説明やガイドの中で、「ありのままの自分」という言葉が出てきますが、それがどういうものなのかがよくわかりません。
「ありのままの自分」=「今現在の自分」なのか、
「ありのままの自分」=「等身大の自分」なのか、
「ありのままの自分」=「本来の自分」なのか。
その全てなのか。
そして、「等身大の自分」、「本来の自分」というものが、自分でありながら自分で理解ができず、どういうものなのかわかりません。

また、瞑想で気付きが生まれても、気づきの先にあるものが見えません。
気付いても、その先の思考や行動に今までと何ら変化が起きていないきがするのです。

こんな風に頭で考えなくても、この先も続けていくことによって、自然に答えや、何かが見えてくるものなのでしょうか。

少しでもアドバイスいただけましたら幸いです。

2017年12月26日 17:01

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今自分がやってないのに体がやってくれてること

我々がスマホだとします。人間ですが。
人間もスマホも待ち受け画面状態があります。
何もせんとただじーっと。
体の痛み。大変でしょうね。少しでも取り除ければと思います。
ところで体の痛みや不調って誰がやっているのかを考えてみると結構大事なことが見えてきます。
痛みの発生時点って、
①ズキン!
②「!」
③痛いっ!
④んもー、何でこんな体になっちゃったんだろう…
⑤くそー、あの医者めー。
ざっくり申し上げますと、そういうことをやっています。ものすごく高速で。
ですが、①~③の時点って、痛いは痛いにしても「無私無我」の痛みとでもいうべきものなのです。
自分の主観が入らないということです。
本当に痛ければ我慢せず、鎮痛剤を上手に服用なさるべきです。
体の痛みだけは心ではどうしようもありません。
ですが、④とか⑤というのは、体の感覚の後から頭でやっていることです。
それは無くすることができます。
そこが上手になると「後追い思考」「後から被害者意識」「後から自分いじめ思考」が無くなりますから、今後は痛みが生じたときも今よりはきっと楽になると思います。

2018年1月26日 12:03
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有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

ありのままの自分とは。

ご質問を拝読させて頂きました。

仏教では人は五蘊という要素の集まりに過ぎない説きます。五蘊とは五つの要素で、
色(しき)外的要素、人の場合は肉体と思っていいです。
受(じゅ)は外界からの刺激を感受する働きです。
想(そう)はものごとを組み立て考える構想作用です。
行(ぎょう)は意思の働きです。
識(しき)は認識する働きです。
五蘊のどれか一つをとって、これは自分ですという事は出来ないはずです。そして、この五蘊の集合体は経験する事により変化します。質問者さんも肉体的変化、精神的変化をして、ずっと同じではありませんよね。
つまり、経験により変化する五蘊の集まりが「ありのままの自分」です。そして、これが無我というものです。不変的かつ実体的な自分というものはありません。

気付きとは一つ一つの行為に意識を行き渡らせる事によって普段、無意識に行っている不健全な行為を防止することです。「これは良くない事だ。」とわかっていても止めることの出来ない悪い癖を直すとも言えます。頭でわかっていても止める事が出来ないから修行するわけです。取り組む前から成果を気にしても仕方がありません。とりあえずやってみてはいかがでしょうか。

説明がわかりづらいかもしれませんので、判らない点は再度お尋ね下さい。

12月27日追記
もし、質問者さんが今の自分が「不変的かつ実体的なものでない。」と自覚されているのでしたら、それで良いと思いますが、ご質問を拝読する限りはそうでないと思います。
実際、ありのままの自分とは瞑想の過程で見えてくるものなので、やる前には判らなくて良いのではないでしょうか。

2017年12月26日 19:20
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有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


臨済宗寺院の住職です。皆様の良き御縁となる事が出来れば幸いです。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
私の無知な頭では少し難しいです。(汗)
とにかく何か見えてくるまで実践に励んでみようと思います。

追加であともう1点だけ質問させてください。

「ありのままの自分」を受け入れるという事は、今の自分を受け入れればよいのでしょうか?

2度にわたりご回答いただきまして、ありがとうございます。

頭であれこれ考えるのを止め、このまま瞑想を続けてみます。
ありがとうございました。

丹下覚元 様
わかりやすくご説明いただきありがとうございます。
不安や怒りのどの感情によって、本来の痛みに余計な修飾をし、自分自身で痛みを強めてしまわないように、気を付けてみようと思います。
お忙しい中ご回答いただきありがとうございました。

「仏教における瞑想」問答一覧

瞑想後の足のしびれを早く治す方法について

どうもお久しぶりです。 今回の質問は足のしびれを素早く治す方法についてです。 苦を無くすという目的の元、たまに寺に行ってヴィパッサナー瞑想を行っています。 身体が硬いので結跏趺坐を組むまで、音を立てながら2分ほどかかってしまうのですが何とか組めるようになりました。 10分位(感覚値)すると足がしびれだし、そこから10分(感覚値)ほどするとしびれを感じなくなります。 痺れが治まると眠気が出てくるのですが、呼吸を整えて観察しています。 そしてさらにそこから20分(トータル50分前後)ほどすると、白い雲のような眩しい光や、建物の外の駐車場に停車しようとする自動車等の相(ニミッタ)が見えてきます。 相が煩わしいので5分くらい観察したところで瞑想を止めてゆっくりラベリングしながら立ち上がろうとするのですが、足が折れたんじゃないかというくらい痺れて力が入りません。 座り方は、指導者の方が、座布団の端を折り曲げて二重にし、そこにお尻の座骨を落として、座布団に乗せるのは座骨だけ。ひざの端は地面につける。そして体を伸ばして肩の力を抜いた後、板になった様にとのことでした。 個人的には三角フラスコをイメージし身体をまっすぐにして、結跏趺坐を組んだ足は固定されており全く動きません。 ここで質問なのですが、痺れを早く治す方法などありますでしょうか。

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瞑想での姿勢について

どうもこんばんは。 日曜日に生まれて初めてヴィパッサナー瞑想というのをやってみました。 苦の原因が想像していたものと一緒だったという事で、その確認ができて良かったのです。 今回は禅をご指導されていらっしゃる方に質問が二つあります。 1つ目は客観視をしてみると思ったよりも身体が多数の箇所で『声を出している』事に気づきそれを確認していくと同時進行すぎるために『気づきの処理』がおろそかになるのですが、一つの事だけに集中した方が良いのでしょうか。 例えると、奈良公園で鹿煎餅を持っている手とは別の手で鹿を数えていると、数えている鹿が動き回っていて、更にそれとは別の鹿が寄って来て鹿煎餅を食べようとし、更に別の鹿が背後からタックル(痛み)してきてタックルしている鹿を見た瞬間に鹿せんべいを食べられて、結局数えていた鹿が何匹いるか分からなくなりもう一度数え直す、みたいな感覚です(分かりにくいですが)。要は処理能力超えました。どうすればよいでしょうか。 2つ目が、座布団敷いて畳の上で、座り方もあぐらだったにもかかわらず、足が無茶苦茶痛くなったり、つったり、治ったりだったのですが、これは慣れれば大分ましになるのでしょうか。 また背中がだんだん曲がっていく(猫背)場合、どのように直すように指導していますか(無意識に曲がるため)。

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