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気にしなくなるためには

回答数回答 3
有り難し有り難し 22

見て頂きありがとうございます。

現在の元旦那と浮気相手の行動が耳に入り、安定した気持ちで生活できません。 離婚の条件にも、浮気相手とは一切関わらないとの約束の元、離婚しました。

ですが、約束はほとんど破られ、子供達に本当に申し訳ない気持ちと元旦那側に対する怒りでどーしたら気にせず、前向きに進む事ができるでしょうか。

子供が男の子なので、やはり父親は必要なのかと思います。まとまりなくすみません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

地まで堕ちろ!

そんな気分でしょうか。

縁あって夫婦となったあいつが
今は他人となったとはいえ
浮気相手と幸せそうにしてるのが
どうにも悔しい!

私は入浴介助でヘトヘト。わけのわからんことばっかり言う年寄り相手にボロボロだというのに。

同じ離婚でもこの差は何?!

幸せそうに見えてるのは今のうち。あっちははじめからメッキカップルだから。すぐに剥がれるにきまってる。
放っといてもね。仲良くなればなるほどメッキはこすれて中身が見えてくる。

その時が見ものだわ。
私はその間に小さな幸せを積み重ねて行くの!
泣きついてきてももう遅いんだから!

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

もう旦那さんではない。元旦那さん。

お子さんにとったら間違えなくお父さんという存在でしょう。それはいつまでたっても間違えのない事実。
しかし、離婚された時の約束は、約束でしかないのだと思います。
今となっては、元旦那さんなわけで、付き合うなとか、再婚するなとはいえませんよね。
あなた自身もこれから出会いがあるかもしれないし、再婚もしないとは限らない。
元旦那さんの事は、あなたの人生と切り離してこれからは見ていかなくてはならないでしょう。
もう離婚されたのですから。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

この世の他人様は誰一人で自分のものにならない

あなたが結婚してもその元旦那はあなたのものにならなかった。
あなたの子供であっても、お子さんは毎日あなたの意志とは無縁無関係な動きをされていると思います。
生命というものはそういうものです。
たとえ永遠の愛を誓い入籍しても、現実の真実がそういう離婚状態になっている。
実際の実生活で状況に応じながら生活している。
お子さんにとってお父さんは必要でしょうから、接する機会を与えてあげることは大切でしょう。でも、それが実生活の状況にそって、応じていけるかどうかは別物です。
今、元旦那に彼女がいるという事は、その彼女が元旦那さんとあなたが合うのを面白く思わないと思います。反対に大いに会ってきてもらっていいと言っているかもしれません。
それでも、大人の責任は別問題です。旦那さんには金銭的な援助をきっちり、きっちり要求しましょう。権利はちゃんと主張するべきです。父親としてやってもらいたいことがあったらやってくれると思います。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お忙しい中、回答ありがとうございました!
お互いに元がつく関係で、今は子供の親に変わりありませんが、子供にも会いにこない人なので、気にしていてもしかたないですね。結婚している時も嘘ばかりでしたから、約束が守られない事もしかたないですね。
新しい出会いに期待しながら、子供達と楽しく暮らしていきたいと思います!
ありがとうございました!

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