不安を打消し「思い通りにならなくて当たり前」と考えて前に進む

今まで生きてきて辛いことは結構ありましたが、今回ばかりは・・・というときに、hasunohaに出会いました。いくつか質問させていただきました。

そこで、いただいたご回答を実践しようと「主観をさしはさまず、"事実"を"事実"のまま捉えること」に努めています(今までこういったことを意識したことがないため、なかなか難しいですが…)。
引き寄せの法則などでは、思い念じていればそのような現実になるそうですが(引き寄せの法則自体あまりよく知りませんが、こんな感じだったかと思います)、念じずに淡々と事を進めています。

その結果、思うようにいっていないのですが、そのまま進んでいけばどうにかなるものでしょうか…毎日何だか不安になってしまっています(悪いクセ?)。

不安になると無駄なエネルギーを消費してしまうので、悩まないように意識し、とりあえずタイトル通りに日々生きていくしかないのでしょうか?

ちなみに3つの悩みの進捗状況は・・・
・職探し→自分の望みとは少し違いますが、紹介された派遣の仕事に就けそうです。
・賃貸住みで隣人の騒音がうるさい→管理会社を通じて注意喚起してもらったものの全く変わらず。隣人に逆恨みされているんじゃないか…とか不毛な妄想はやめ、お金を貯めて引越しするつもり(割り切る?)。
・体の具合→潰瘍性大腸炎?が疑われ経過観察中、調子は持ち直してきた感じです。

何だか前回の質問から少ししか進展していませんが、不安になってしまいまして、、ご回答いただけると幸いです。
よろしくお願い致します。

心構え・生きる智慧
有り難し 41
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

円通寺

邦元

自分を立てるから悩む

思うようにいかない。
という言葉の裏に、あなたが自分を立てている様子が見えます。現実がそこに当てはまらないから悩むのでしょう。
現実を理想に当てはめるのではなく、そのままをそのままにしておくことが救いになるのでしょう。

2年2ヶ月前

薄紙・薄皮

今日は。このところ、お天気の良い日は夜明けの空が美しいですね。今日は、ひとつ美しい表現をお知らせします。

「薄紙を剥ぐように」です。元々は「病状から少しづつ少しづつ回復する」という文脈で使われるのだそうですが、転用というか誤用というか、いろんな意味で使われているようです。

「薄皮を剥ぐように」これは誤用とされています。痛そう。
「薄紙を重ねるように」パロディーですが、イメージはプラスかと。検索したら「野澤卓央」さんという方が使っていました。(この方自体を勧めている訳ではありません。読んでないので。)

で、「薄紙って、どれ位の厚みなのかな?」と思って調べてみたら、マァ恐るべき薄さの紙があるのですね。ipad(厚さ約6mm)が重ねてあれば、一台取り除いたら即分かるでしょう。けれど、厚みが0.04ミリの紙が重ねてあったら、15枚と16枚だったとしても、恐らく区別がつかないと思います。
でも、例えば1日1枚ずつ取り除いて10日続け、「これだけの紙を取り除いたよ」と言われれば、それを見て驚くのではないでしょうか? …枚数の多さに?少なさに?束の厚いことに?薄いことに?どう驚くかは、ご自由ですけど。

はい、ここまで読んでくださったなら、最初に張った伏線もご理解ですよね。
朝起きて、運良く空を見られたら、「薄紙・薄紙」と取り敢えず(^。^)思い出してください。明るくなった・暗さが失われた・日の出は時間がかかるなぁ。いろんな見方が可能です。
いつか、こう感じる日が来るかも知れません。
「見え始めると、太陽って早いなぁ」と。

2年2ヶ月前

自分の心を捕まえてみる実験。

実験してみましょう。背筋を伸ばして合掌し、目を閉じて、息を吸って、
口で「あいうえお」とつぶやきながら(小声でよい)、同時に心の中で「一二三四五」と念じてください。
一回の「あいうえお」に同時平行で「一二三四五」を一回。
それを、連続で息が続くかぎり、さらには息を吸うときも「あいうえお」「一二三四五」をできるだけ途切れさせないように、繰り返してみてください。
1分間程度やってみてください。
心で「一二三四五」を連続させていると、「一二三四五」を邪魔するようにさまざまな妄想雑念が浮かんでは消えるでしょう。
妄想雑念に負けずに心で「一二三四五」を続ける力、それが「念」ではないでしょうか。
実験は以上です。
さて、日常生活では、「念」を途切れさせるようなさまざまな妄想雑念が、海面の泡みたいに次々と浮かんでは消えてゆきます。
日常生活で必要なことをやるのが「あいうえお」「一二三四五」、無駄に不安や不平不満を呼び起こしてしまう思考を「念を邪魔する雑念」に置き換えて考えてみてください。
「念」が途切れていない間は、無駄な不安や怒りは消えています。
不安や怒りを制御したければ、「念」を制御すればよいのです。
しかし、私達の心の「念」は脆弱で頼りないです。実験では、「念」をより明瞭にするために、「念」とこんがらがりやすい「おしゃべり脳」を「あいうえお」で先に捕まえてみました。また、肉体からの刺激も少なくするために、「目を閉じ背筋伸ばし合掌」にしました。
日常生活では、身・口・意の三業を複雑に使うので雑念を制するのは大変ですけどね。

2年2ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

願誉浄史 様
ありがとうございます。
不安を制御するには、「おしゃべり脳」と「肉体」からの刺激を少なくすることが重要なのですね。
実験も慣れが必要ですね。

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佐藤良文 様
ご回答ありがとうございます。
日々わずかでも進んでいくのがよろしいということでしょうか、
物事は私の見方次第でそうにでも映るということでしょうか、
ありがとうございます。

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×そうにでも映る
○どうにでも映る(捉え方次第)
失礼致しました
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邦元 様
ご回答ありがとうございます。
無意識に自分を立ててしまいますね。
分かっているつもりだけど難しいです。
意識的に訓練が必要ですね。

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