自分に自信が持てません
ひとりっ子だったことや、中学時代にいじめられていたこと、少々気が強く曲がった事が大嫌いで人に強く当たってしまう性格も自覚していて仕事でもプライベートでも自信が持てません。
人からは真面目すぎるんだよとか
羨ましいことをたくさんやってるじゃんとか言われますが…。
この服は可愛いけれど私が着ても似合わないとか
仕事でももう少しスマートに対応出来なかったのかとか何であんな言い方をしてしまったのかとか毎日反省を繰り返しています。
そんなこと考えてるから表情も暗くなってるわとか悪循環に陥ってしまっています。
もう少し自分に自信を持って生活出来たら何か変わるのかなと思います。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自信をつけるよりも、不確かな自分のままに、自分が変わる道を。
亀山純史と申します。
「自信」とは、「自分が自分を信じてあげること」です。あなたに代わって、私があなたを信じても、それはあなたの自信にはなりませんよね。そして、「自分が自分を信じてあげる」時、そこには「信じる自分」と「信じられる自分」がいます。どちらも自分です。でも、そのどちらの自分も、「不確かな自分」でしかありません。「不確かな自分」とは「他人と比べる中で自分を見出そうとしている自分」です。だから、ある時は自信があっても、別な時になると自信を失うのです。
ではどうすればよいのでしょうか。以下、私の考えです。
まずは、自分は「不確かな自分以外の者ではない。」つまり、「他人との比較の中にしか自分を見出すことが出来ない者である。」と知ることです。
次に、そのような自分を無条件に包み込んでくれる仏様(私の宗派では阿弥陀如来です。)に、手を合わせた生活を送ること(※手を合わせた生活とは、仏様へ感謝をして生活すること)です。
そのような生活は、すぐにではないにしても、やがては、他人との上に成り立つ自信にしがみつこうとしている自分から、何ものにも妨げられない自分へと変わっていくことが出来るものと信じています。これは、「不確かな自分のままに、自分が変わる。」ということです。決して、他人と比較しない自分へと生まれ変わるわけではありません。「比較する自分をそのまま受け入れることが出来る自分が生まれる。」とでも言えばいいでしょうか。
以上が私の回答です。少しでもご参考になれば幸いです。
誰か、何かと比べてませんか。
自分に自信がのない人の多くは、自分の周りの人と比べて自分のほうがどうだとか、世間一般が許さないのではないかとか、そうした「考え」に振り回されている事が多いです。
テレビや雑誌の情報に流されることなく、世間一般の「〇〇するべき」といった説得力のない思想、多数=善 少数=悪のような極端な考え、は一旦置いておいて、ご自分のありよう、事実のみを信じ生きてみてください。自信がを持とうとする必要もありません。ただ、私はこのようで、なんの問題もなく生きているということが何よりの事実。そこに一般とか比較とかそうした思考を挟み込まないでください。だんだんと今までぶれていた心がすっきりとシンプルになるはずです。
あなたはあなたです。
質問者からのお礼
いかに一般や他者と比較して自分の価値を見い出そうとしていたかと考えました。何よりも仕事をしながらなにごともなく今日まで生きている事実に感謝して今後もがんばろうと思います。また不確かな自分を否定せず、また完璧や一般的、多数派ばかりを求めず気を楽にもとうと思います。お礼が遅くなり、申し訳ありません。貴重なご意見ありがとうございました。