子供の為とは
息子には行きたい進学先がありましたが、学力とは別のところにかなり厳しい障壁があったため、たくさん話し合った結果、最後は親の権限と責任のもと行かせないという判断をしました。このことが私の心のなかに後悔というか罪悪感というかとして残り、離れません。
子供の為と信じて決めたことですが、10年20年経ったときに本当にそれがベストだったのか、正直わかりません。また息子の悔しそうな顔が忘れられず、思い出して涙がでてしまいます。
一方、世の中にはいわゆるカルト教団による事件などが後をたちません。あれも、本人は「相手のため」「世の中のため」と信じての行為と言われます。自分のしていることがそれとどう違うのか、または違わないのか、自問自答し悩みます。どのように考えたらよろしいのでしょうか。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
最善
かだ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
十分に話し合った結果であるならば、それも仕方がなかったのではないだろうかと存じます。
その時は、それが最善であったと。
まあ、大義名分を立てて、自分を正当化させようとすることは皆、どこかございます。
仏教でも一切衆生のために、ということを言いますが、ただ、そのためならば、何をしても良いわけではありません。
節度、バランスを保ち、思い遣りを持って、常に自問自答、自省しつつに歩んでいくことが大切となります。
貴方様に節度や思い遣りが無かったとは思えません。
ですから、今、まだできることでサポートしてあげられることがあればしてあげつつにて、過去の事はもうあまり気になさられなくてもよいのではないだろうかと存じます。
川口英俊 合掌
結果良ければ全て良し
質問者からのお礼
アドバイスありがとうごさいます。
その時その時の最善を尽くすことに集中したいと思います。
自分が独裁者になってはいないかと悩む気持ちはなかなか拭い去れませんが、逆に言うと悩んでいるうちはまだ大丈夫なのかな、と思うことにします。
願誉浄史さま、ありがとうございます。
最終的に幸せだと心から思えるように、ベストを尽くしたいと思います。