ペットを殺してしまった
私が子供のころ、ペットを飼っていました。
ペットに汚れが、付いていたので洗ってあげようと思いました。
私は、その子を綺麗にしてあげるつもりでした。その時殺意はありませんでした。でも私はその子を洗っていて、溺れさせて殺してしまいました。
私はその子が苦しんでいるのが分かっているのにその行為を続けて
その子を自分の手で殺してしまいました。
その子が動かなくなった時私は凄く悲しくなって、自分で殺した癖に
泣いていました。
その後その子を埋めて弔いました
私はその子を可愛いと思っていたのにあんなことをしてしまったことを後悔しています、苦しんでいるその子の姿が頭に浮かびます。
謝っても自分で殺した癖に死んだその子は帰ってこない自分勝手です
時間を戻してなかった事にしたいと思う時があります。何であんなことをしてしまったのか、夜もなかなか寝付けません。後悔と不安と恐怖で胸が苦しくなります。
私は自分が許されたいんだと思います。
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子供の残酷さは誰でも持っています。
いとらさん、こんにちは。
自分でペットを意図的に殺してしまったのですね。
死と命の大切さを理解していない子供にはよくある残虐性です。命を壊すということに逆に快感を覚えてしまう時期でもあります。大きい動物はなくても、例えば蟻の巣を足で壊したり、蛙を踏み潰したり。有害動物ではないのに、殺してしまうのです。でもそこから少しずつ命の尊さを覚えていって、大人になるのです。それは子供が命を学ぶ、代償でもあります。でもそれができないと、どんどん殺す動物が大きくなり、やってはいけないという背信観がさらに快感を覚えてしまい、そして、人間へのいじめに発展し、最悪は人を殺すという事件までおきたこともあります。
でも、いとらさんも後悔しているのですから、すでに命の尊さを知ったわけです。大人になったのですから、子供の時に犠牲にした命の分、今はたくさんの命を大切にしましょう。
人間の生活は、動物の犠牲の上でないと生きていけません。自分が知らず知らずに殺している動物はたくさんいるのです。食料もそうですし、不快や衛生面でのハエやゴキブリも、罪悪感なく殺虫剤で殺しています。私たちが使うシャンプーや化粧品も、動物での皮膚炎症の実験で安全が証明されてから商品になっていますが、私たちはそのような動物の犠牲すら知らずに使っているのです。
だからこそ、別のところで動物に感謝し動物を大切にすることが大切になるのです。
いとらさんも今の生活の中で動物の命を大切にしてあげてください。それが小さい頃に殺してしまったペットの供養になるのです。合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
いろんな命を大切にしていこうと思います。